わかるってなんだろう?

完全にわかるということはない

普段の生活の中で「わかる」という言葉を使います。ただよくよく考えてみると「わかった」つもりになっているだけで、完全にはわかってないことは多いと思います。ほとんどすべての「わかる」は(大まかに)という形容詞がついていると思います。

例えば、コンピュータで使われるキーボードは、入力された文字が何らかの電気信号でコンピュータに送られ、プログラムがそれを認識して画面上に文字が表示されるということはわかっていますが、具体的にはどのような電気信号が送られているのか、プログラムがその電気信号を受けた際に具体的にどのように処理され画面に反映されるのか、という細かなことをわかっている人は少ないと思います。

車の仕組みでも、アクセル、ブレーキ、ハンドルの大まかな動作はわかりますが、エンジンがガソリンをどのように燃焼させて動力を得るのか、ブレーキを踏んだときにどのように車を減速させているのか、ハンドルを回したときに内部でタイヤにどのように力が伝わっているのか、すべてわかっている人は少ないと思います。

このように、どんなことも細部まで完全にわかるということはないと言ってよいと思います。

完全にわかる必要はないことが多い

ただ、ものごとを完全にわからなくても、生活の中で困ることはほとんどないと思います。コンピュータの仕組みがわからなくてもコンピュータを使って作業することはできますし、車の仕組みがわからなくても車を運転することはできます。すべてのことを細部まで分かっていなくても、人にものごとを伝えたり教えたりすることができます。

世の中にはわからないこともある

義務教育の中では明確にわかっていると思われていることのみ扱うため、多くの方はものごとは勉強すればすべてわかると思いがちですが、世の中には専門家であってもわからないこと・わかっていないことが無数にあります。例えば、人間の心・感情や思考の仕組みなどは、現在の科学技術ではまだわかっていません。また、宇宙や地球の歴史なども、現在の科学でまだわかっていないことが多いです。「天才」と呼ばれる数学者が一生かけても解けない問題も無数にあるのです。私の好きな数学の問題で「ゴールドバッハの予想」というものがあります。これは、小学生にも理解できる問題で、いまだに未解決の数学の古典的な問題です。

ゴールドバッハの予想:すべての 2 よりも大きな偶数は 2 つの素数の和として表すことができる

わかっていることは多いほうがよい

わかる⇔わからないはあくまで相対的なもと考えています。ものごとが完全にわかることはないとして、また、わからないことで生活のなかで困ることはないにしても、全くわかっていないより、少しでも多くのものごとや仕組みがわかっていたほうがよいと思います。なぜなら、多少でもわかっていることが多いと人に説明するときより説得力をもって説明できますし、生活の中で役立つときがくるかもしれません。また、逆にわからないことで騙されてしまったり、損をすることがあるかもしれません。

わかっていないことがあるという認識も大事

自分には「わかっていないことがある」と認識しているだけで人は謙虚になれるものです。自分のわからない部分を認識して、少しでもわかるように常に勉強や努力していくことは大切です。とはいえ、一生のうち世の中のことをすべてわかりきることはできないので、自分の興味・関心があることを中心に勉強していくのがよいと思っています。