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歴史を変えた偉大な数学者たち:ピタゴラス、アルキメデスからユークリッドまで

歴史に名を残した古代ギリシアやエジプトの偉大な数学者たちを生誕順に詳しく紹介します。ピタゴラスの定理、アルキメデスの原理、ユークリッドの原論など、彼らの驚くべき発見や知られざる数奇な逸話をわかりやすく解説しています。

歴史に名を残した偉大な数学者たちを、生誕順に紹介します。

ピタゴラス (Pythagoras, 紀元前582年頃-紀元前496年頃)

古代ギリシアの数学者、哲学者。「万物は数である」という思想を掲げ、クロトンにピタゴラス教団を創設した。直角三角形の辺の長さの関係を示す「ピタゴラスの定理」で有名だが、弟子のヒッパソスが無理数を発見した際、それが教団の根幹を揺るがす教義に反するため、彼を海に突き落として口封じをしたという恐ろしい伝説も残る。音楽と数学の関連性にも注目し、音階の基礎を築いたことでも知られている。

アルキメデス (Archimedes, 紀元前287年頃-紀元前212年)

古代ギリシアの数学者、物理学者、発明家。取り尽くし法を用いて円周率の近似値を正確に計算し、球の体積や表面積の公式を発見した。微積分の萌芽とも言える手法を用いており、古代における最高の数学者と評される。「アルキメデスの原理」を発見した際、興奮のあまり「エウレカ(分かった)!」と叫びながら裸で街を走り回ったという逸話はあまりにも有名。シラクサ防衛戦では数々の新兵器を考案してローマ軍を苦しめたが、地面に描いた図形に夢中になっている最中に兵士に殺害された。

ユークリッド (Euclid, 紀元前3世紀頃)

古代エジプトのギリシア系数学者、アレクサンドリアで活動したとされる。著書『原論』(エウクレイデス原論)において、少数の公理と公準から出発して定理を論理的に導き出す「公理的体系」を確立し、その後の数学や科学の発展に計り知れない影響を与えた。王様から「幾何学を学ぶ近道はないか」と問われた際、「幾何学に王道なし」と毅然と答えたという逸話が伝えられている。彼の構築したユークリッド幾何学は、19世紀に非ユークリッド幾何学が誕生するまで、絶対的な真理として君臨し続けた。

ディオファントス (Diophantus, 207頃-291頃)

ギリシアの数学者で「代数学の父」とも称される。記号法の導入や、方程式の有理数解の研究で有名。彼の生涯について詳しいことは分かっていないが、彼の墓碑銘には彼の寿命を求める代数方程式の文章題が刻まれているという伝説がある。著書『算術』が代表作であり、方程式の整数解や有理数解を求める分野を現在でも「ディオファントス方程式」と呼ぶ。後にフェルマーがこの本を読み、余白に有名な「フェルマーの最終定理」を書き残したことで歴史的な脚光を浴びた。

フィボナッチ (L. Fibonacci, 1175頃-1250頃)

中世イタリアの数学者。本名はレオナルド・ダ・ピサ。主著『算盤の書』を著し、当時ヨーロッパで一般的だったローマ数字に代わって、計算に便利なインド・アラビア数字と位取り記数法を導入し普及に努めた。ウサギのつがいの増え方をモデルにした問題から導かれた「フィボナッチ数列」(1, 1, 2, 3, 5, 8…)の発見者として世界的に名を残している。この数列は、ひまわりの種の配列やオウムガイの殻など、自然界の至る所に現れる黄金比と密接な関係があることで知られる。

バシェ (C. G. Bachet, 1581-1638)

17世紀フランスの貴族であり、趣味として数のパズルや数学の研究を行ったアマチュア数学者。ディオファントスの『算術』のギリシャ語原典をラテン語に翻訳して刊行し、これに自らの研究を注釈として掲載したことで大きな功績を残した。このバシェ版『算術』を読んだフェルマーが、その余白に数々の書き込みを残したことが後に数学界を大きく動かすことになった。また、川渡り問題や数当て魔術など、レクリエーション数学の古典的な問題集を出版し、遊戯数学の先駆者としても評価されている。

メルセンヌ (M. Mersenne, 1588-1648)

フランスのミニム会修道士、神父。「メルセンヌ数」にその名を残すが、実はこの数は友人フェルマーが考え出したとも言われる。彼は自身の修道院を拠点に、デカルト、フェルマー、パスカル、ガリレオといった当時のヨーロッパ中の超一流の学者たちと文通を行い、彼らの研究を中継する「歩く科学アカデミー」として学問の発展に極めて重要な役割を果たした。音響学の分野でも業績があり、弦の振動数に関する「メルセンヌの法則」を発見したことでも知られている。

デカルト (R. Descartes, 1596-1650)

17世紀フランスの独創的な哲学者、数学者。「我思う、ゆえに我あり」の命題で知られる。代表的著作として『方法序説』、『幾何学』などがある。数学における最大の功績は、平面上にX軸とY軸を直交させる「直交座標系(デカルト座標系)」を考案したことである。これにより、図形を代数方程式で表現することが可能となり、幾何学と代数学を統合した「解析幾何学」を創始した。ベッドの中で天井を這うハエを見て座標のアイデアをひらめいたという有名な逸話が残されている。

フェルマー (P. de Fermat, 1601-1665)

17世紀フランスの数学者。本業はトゥールーズの裁判所の裁判官であり、数学はあくまで趣味として余暇に行っていた「アマチュア数学の王者」である。解析幾何学、確率論、微積分法の基礎付けを行った。また数論の始祖でもあり、ディオファントスの『算術』の余白に「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と書き残した「フェルマーの最終定理」は、その後360年以上にわたって世界の天才数学者たちを悩ませ続けた。

ロベルヴァル (G. P. de Roberval, 1602-1675)

17世紀フランスの数学者。当時としては珍しく、コレージュ・ロワイヤルで数学教授の職を得ていた専門家である。サイクロイド(車輪の上の点が描く軌跡)の面積を計算する研究などで知られる。不可分量の推論を用いて、微積分学の先駆的な業績を挙げた。自身の教授職を維持するため(教授職は数学コンテストの勝者に与えられたため)、発見した定理や手法を秘密にして論文をすぐには発表せず、他の数学者としばしば優先権を巡って激しい論争を繰り広げたという人間臭い一面を持つ。

ウォリス (J. Wallis, 1616-1703)

17世紀イギリスの数学者で、オックスフォード大学の教授。主著『無限の算術』で、極限の概念に数学的な形式を与え、ニュートンらに続く微積分学の基礎作りに大きく貢献した。現在私たちが当たり前のように使っている無限大の記号「∞」を考案し、初めて数学書に用いた人物である。また、暗号解読の天才でもあり、清教徒革命の際には議会派のために王党派の暗号文書を次々と解読して名を馳せた。王立協会(英国学士院)の創設メンバーの一人としても活躍した。

ブランカー (W. Brouncker, 1620-1684)

アイルランドの貴族(第2代ブランカー子爵)であり、イギリスの王立協会(英国学士院)の初代会長を務めた。数学を深く愛好し、ウォリスなど同時代の学者と活発に交流した。円周率を表現するための美しい「連分数」の公式を発見したことで数学史に名を残している。また、フェルマーがイギリスの数学者たちに挑戦状として送りつけたペル方程式の問題に対し、ウォリスと協力して独自の解法を導き出すなど、17世紀の数学の発展において指導的で重要な役割を果たした知識人である。

パスカル (B. Pascal, 1623-1662)

17世紀フランスの哲学者、数学者、物理学者、宗教思想家。「人間は考える葦である」という言葉で有名。幼少期から天才ぶりを発揮し、10代で「パスカルの定理」を発見し、父親の税務計算を助けるために世界初の機械式計算機「パスカリーヌ」を発明した。フェルマーとの往復書簡を通じて、現在の確率論の基礎を築いたことでも知られる。後に「パスカルの体験」と呼ばれる神秘体験を経てヤンセン派に帰依し、晩年は数学から離れて宗教活動と思索に従事した。『パンセ』はその際の遺稿集である。

アイザック・ニュートン (I. Newton, 1642-1727)

イギリスの物理学者、数学者、天文学者。史上最高の科学者の一人とされる。ペストの流行で大学が休校になり故郷に疎開していた「驚異の諸年」に、万有引力の法則、微積分法、光学の基礎という三大業績のインスピレーションを得たとされる。ライプニッツとは独立に微分積分学を創始したが、後にその優先権を巡って激しい泥仕合を演じた。主著『プリンキピア』は古典力学の基礎を築いた。リンゴが木から落ちるのを見て引力を思いついたという逸話は、彼自身が晩年に語ったものと言われている。

関孝和 (T. Seki, 1642年頃-1708年)

江戸時代前期の日本の数学者。「和算」を高度な数学体系へと引き上げた第一人者であり、「算聖」と称される。西洋のライプニッツよりも早く、連立方程式を解くための行列式に相当する概念を発見し、ベルヌーイ数を独自に見出すなど、鎖国下の日本にあって当時の世界最高水準の数学を展開した。円周率を11桁まで正確に計算するなど、微積分の前段階である「円理」の基礎も築いた。彼の築いた関流は和算の主流派となり、日本独自の高度な数学文化の発展に多大な貢献をした。

ゴットフリート・ライプニッツ (G. W. Leibniz, 1646-1716)

17世紀ドイツを代表する哲学者、数学者。外交官や図書館長としても活躍した「万能の天才」である。ニュートンとは独立に微分積分学を創始し、現在我々が使用している微積分記号(dy/dx, ∫など)を考案した。彼の記号は直感的に分かりやすく、後の数学の発展に大きく寄与した。二進法の研究や、論理学の形式化にも貢献しており、計算機の歴史においても重要な人物である。また、「この世界は可能な全ての世界の中で最善のものである」という楽天主義の哲学を提唱したことでも知られる。

オイラー (L. Euler, 1707-1783)

18世紀スイスが生んだ史上最大の「数学王」。生涯の後半は両目を失明していたにもかかわらず、驚異的な記憶力と暗算力で研究を続け、論文700以上、著書45編という空前絶後の業績を残した。「オイラーの公式(e^iπ + 1 = 0)」は、世界で最も美しい数式と称賛される。関数記号 f(x) や自然対数の底 e、円周率 π などの記号を標準化し、解析学、数論、幾何学などあらゆる分野の基礎を築いた。「彼は息をするように計算した」と評されるほどの天才中の天才である。

ラグランジュ (J. L. Lagrange, 1736-1813)

18世紀イタリア生まれのフランスの数学者、天文学者。ナポレオンから「数学の高くそびえるピラミッド」と称賛された。オイラーの推薦でベルリン学士院数学部長を務めた。彼の最大の功績は、幾何学的な直感を排除し、純粋に代数的な計算のみによって力学を再構築した『解析力学』の著述である。また、整数論や変分法、方程式の解の公式に関する研究(後のガロア理論の先駆)などでも多大な業績を挙げた。メートル法の制定にも委員として関わり、現代社会の基盤づくりにも貢献している。

ルジャンドル (A. M. Legendre, 1752-1833)

フランスの数学者。整数論、楕円積分、引力問題などで多数の業績を残し、特に最小二乗法の発見についてはガウスと激しい優先権争いを繰り広げたことで知られる。「数論」という言葉は彼の主著『数論(Théorie des Nombres)』に由来しており、素数定理の予想や平方剰余の相互法則の厳密な証明への貢献でも名高い。しかし、彼の業績の多くは後にガウスやアーベルらによってより一般的な形で完成される不運に見舞われた。

ガウス (C. F. Gauss, 1777-1855)

ドイツの生んだ「数学の王」と称される天才。整数論、非ユークリッド幾何学、測地学、天文学など極めて多岐にわたる分野で画期的な業績を挙げた。極端な完全主義者であり、「少なれど熟せり (Pauca sed matura)」をモットーに、足場の見えないほど完成度が高くないと成果を決して公表しなかったため、死後の遺稿から驚異的な発見が次々と見つかった。主著『算術研究』は近代整数論の金字塔であり、幼少期に1から100までの和を瞬時に計算した逸話も広く知られている。

コーシー (A. L. Cauchy, 1789-1857)

フランスの数学者。オイラーに次ぐとも言われるほどの多産な研究者であり、複素関数論の創始や微分積分学の厳密化など、解析学に決定的な基礎を築いた。熱心な王党派かつ厳格なカトリック教徒であったため、政治的な激動期にはしばしば亡命や辞職を余儀なくされるなど、波乱に満ちた生涯を送った。他人の論文の審査を放置してしまう悪癖があり、アーベルやガロアの極めて重要な論文を紛失してしまったという、数学史に残る痛ましい逸話でも名を残している。

ラメ (G. Lamé, 1795-1870)

フランスの数学者・物理学者。曲線座標系の理論を構築し、弾性力学や熱伝導論といった応用数学および数理物理学の分野で大きな貢献を果たした。フェルマーの最終定理の証明にも挑み、n=7の場合の証明に成功した一人であるが、複素整数における一意分解定理の罠に陥ったエピソードも有名である。彼の名は「ラメ曲線」や弾性力学における「ラメの定数」などに残されており、エッフェル塔に名前を刻まれた72人のフランスの科学者の一人でもある。

アーベル (N. H. Abel, 1802-1829)

ノルウェーの数学者。極度の貧困と闘いながら、一般5次方程式の代数的解法の不可能性を証明するという数学史上の大業績を若干21歳で成し遂げた。楕円関数論やアーベル積分論などでもヤコビと並ぶ天才的閃きを見せたが、その論文はコーシーに放置されるなど生前は正当に評価されなかった。大学の教授職に就くことが決定した知らせが届くわずか数日前に、結核により26歳の若さでこの世を去った悲劇の天才として知られる。

ヤコビ (C. G. J. Jacobi, 1804-1851)

ユダヤ系ドイツの数学者。楕円関数論、テータ関数論、偏微分方程式、行列式論などにおいて圧倒的な計算力と洞察を発揮し、「ヤコビアン」にその名を残す。同時代のアーベルとは良きライバル関係にあり、彼が早逝した後はその業績を世に紹介することにも尽力した。フーリエからの「科学は自然の探求や公共の利益に貢献すべき」という主張に対し、「科学の唯一の目的は人間精神の名誉である」と反論し、純粋数学の至高性を強く擁護したエピソードは大変有名である。

リューヴィル (J. Liouville, 1809-1882)

フランスの数学者。複素解析学における「リューヴィルの定理」や、微分方程式論における「スツルム=リューヴィル型境界値問題」など、解析学の多くの基礎概念に名を残す。超越数の存在を初めて具体的に証明した「リューヴィル数」の発見でも知られる。教育者や学術雑誌の編集者としても非常に優れた手腕を発揮し、生前は全く評価されなかったガロアの難解な遺稿を解読して世に送り出し、彼の群論が数学界で認知されるための最大の功労者となった。

クンマー (E. E. Kummer, 1810-1893)

ドイツの数学者。代数的整数論における「理想数(イデアルの先駆)」の概念を導入し、円分体の整数論を深く研究した。これをフェルマーの最終定理に応用し、「正則素数」と呼ばれる特定の条件を満たす素数について定理が成り立つことを証明するという、当時としては画期的な成果を挙げた。ギムナジウム(中等学校)の教師を10年間務めていた時期があり、クロネッカーやワイエルシュトラスといった後の大数学者たちの才能を見出して育て上げた優れた教育者でもあった。

ガロア (É. Galois, 1811-1832)

フランスの数学者。方程式が代数的に解けるための条件を「群」という全く新しい概念を用いて解明し、現代代数学の扉をこじ開けた不世出の天才。しかし、その理論はあまりに早熟で難解であったため、生前はアカデミーから黙殺され続けた。熱狂的な共和派として政治運動にのめり込み、投獄されるなど波乱の短い生涯を送る。わずか20歳で恋愛のトラブルに端を発する決闘により命を落としたが、前夜に親友に宛てて書き遺した数学的遺書は、後世の数学に計り知れない影響を与えた。

カール・ワイエルシュトラス (K. Weierstrass, 1815-1897)

ドイツの数学者。図形的な直感に頼っていた当時の微積分学に対し、厳密な「ε-δ論法」を定着させて解析学の基礎を堅固なものにし、「現代解析学の父」と称賛される。「至る所で連続だが至る所で微分不可能な関数」を提示し、当時の数学界に衝撃を与えた。長らくギムナジウムの教師として体操や書道まで教える日々を送っていたが、後に大学教授となり、ソフィア・コワレフスカヤなど多くの優秀な弟子を育て上げた温厚な人柄でも知られる。

クロネッカー (L. Kronecker, 1823-1891)

ユダヤ系ドイツの数学者。「クロネッカーのデルタ」に名を残し、代数的整数論や楕円関数論に多大な貢献をした。「神は整数を創り給うた。それ以外はすべて人間の作である」という有名な言葉を残したように、数学は有限回の操作で構成できるもののみを扱うべきだという厳格な構成主義の立場をとった。その極端な信念と主観性の強い性格から、カントールの集合論を「数学の病気」と激しく攻撃して彼の精神を追い詰めたり、同僚ワイエルシュトラスを批判したりと、数学史に暗い影も落としている。

リーマン (B. Riemann, 1826-1866)

ドイツの数学者。ガウスの愛弟子であり、複素解析における「リーマン面」、積分の基礎を定義した「リーマン積分」、アインシュタインの一般相対性理論の数学的枠組みとなった「リーマン幾何学」など、現代数学・物理学の根幹をなす画期的な概念を次々と創出した。1859年に発表した唯一の数論の論文の中で提起された「リーマン予想」は、素数の分布に関する数学史上最大の未解決問題として現在も多くの天才たちを阻み続けている。極めて内気な性格で病弱であり、39歳で結核により早世した。

ゲオルク・カントール (G. Cantor, 1845-1918)

ドイツの数学者。現代数学の言語とも言える「集合論」を独力で創始し、対角線論法を用いて無限の大きさに異なる「濃度」の階層が存在するという驚異的な事実を証明した。しかし、人間の直感に反するその深遠な理論は、クロネッカーやポアンカレら当時の権威たちから「数学を破壊する異端」として激しい攻撃と嘲笑を浴びた。連続体仮説の証明に行き詰まったことや周囲からの迫害により深刻なうつ病を患い、不遇のまま精神病院で生涯を閉じたが、現在では数学史上最も偉大な革命児として評価されている。

ポアンカレ (H. Poincaré, 1854-1912)

「最後の万能科学者」と称されるフランスの天才。保型関数論の創始、トポロジー(位相幾何学)の基礎付け、微分方程式の定性的理論など、数学のあらゆる分野で巨大な業績を残した。天体力学の三体問題の研究から「カオス理論」の端緒を開き、物理学でも特殊相対性理論に肉薄するなどその直感は並外れていた。極度の近視で忘れっぽく、頭の中で思考を完全に練り上げてから一気に書き下ろすスタイルだったという。「ポアンカレ予想」は約100年後にペレルマンによってようやく解決された。

ヘンゼル (K. Hensel, 1861-1941)

ドイツの数学者であり、クロネッカーの弟子。代数関数論のアイデアを数論に持ち込むことで、有理数体の上に全く新しい完備化である「p進数」の概念を発見・導入した。このp進数の理論は、現代の数論幾何学や代数的整数論において欠かすことのできない極めて強力な道具となっている。音楽家の家系に生まれ、祖父は作曲家ファニー・メンデルスゾーン(フェリックス・メンデルスゾーンの姉)、父は画家という芸術的な背景を持っていたことでも知られる。

ヒルベルト (D. Hilbert, 1862-1943)

ドイツの数学者。不変式論の有限性定理、代数的整数論の集大成『数論報告』、幾何学の公理化など、19世紀から20世紀への転換期において数学のあらゆる分野を牽引した巨人。1900年のパリ国際数学者会議で提唱した「ヒルベルトの23の問題」は、20世紀の数学が進むべき道標となった。数学の無矛盾性を証明しようとした「ヒルベルト・プログラム」はゲーデルの不完全性定理により挫折したが、その過程で生まれた数学基礎論の枠組みは現代論理学の基盤となった。「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」という彼の墓碑銘はあまりにも有名。

高木貞治 (T. Takagi, 1875-1960)

日本の数学者。ドイツに留学してヒルベルトに師事した後、第一次世界大戦による学術的孤立の中で独自の研究を深め、アーベル拡大の全貌を明らかにする「類体論」という壮大な理論を完成させた。この業績により、後進国であった日本の数学を突如として世界最高水準にまで押し上げた。1936年には第1回フィールズ賞の選考委員という栄誉ある役割も担った。彼が著した『解析概論』や『初等整数論講義』などの教科書は、名著として現在に至るまで多くの日本の数学徒に読み継がれている。

エミー・ネーター (A. E. Noether, 1882-1935)

ドイツの数学者。環論やイデアル論を公理化し、現代の「抽象代数学」という分野を実質的に一人で創り上げた最大の功労者。物理学においても、連続的な対称性が保存則に対応することを示す「ネーターの定理」を証明し、現代物理学に不可欠な基礎を提供した。女性に対する偏見が強かった当時、長らく無給の講師として冷遇されたが、彼女の周りには常に優秀な学生(ネーターの少年たち)が集った。ユダヤ系であったためナチス政権下で大学を追われ、アメリカに亡命後、53歳で急逝した不屈の天才。

シュリニヴァーサ・ラマヌジャン (S. Ramanujan, 1887-1920)

インドの数学者。正規の数学教育をほとんど受けずに独学で数学を研究し、直感と閃きによって円周率や分割数に関する数々の驚異的な公式を発見した。「インドの魔術師」と呼ばれ、G. H. ハーディとの共同研究で名を馳せた。彼が発見した公式の多くは証明が付けられておらず、「夢の中で女神が教えてくれた」と語るなど、神秘的な逸話に事欠かない。渡英後にハーディのもとで才能を開花させるも、イギリスの厳しい気候や生活習慣の違いから体調を崩し、32歳という若さで病没した。彼の残した「ラマヌジャン・ノート」は、死後長年にわたり多くの数学者にインスピレーションを与え続けている。

モーデル (L. J. Mordell, 1888-1972)

アメリカ生まれのイギリスの数学者。両親はリトアニアからの移民。不定方程式論において数多くの論文があるが、楕円曲線論におけるモーデルの定理(有理点群が有限生成であること)はとりわけ有名である。彼はケンブリッジ大学の奨学金試験を受けるために単身渡英し、以降イギリスを拠点に活動した。1922年に彼が証明した定理を、後にアンドレ・ヴェイユが一般の代数多様体(あるいはアーベル多様体)の場合に拡張し「モーデル=ヴェイユの定理」としたことで、算術的代数幾何学はここから爆発的な発展を遂げることになる。また、彼が提唱した「モーデル予想」は後年ファルティングスによって証明された。

ジーゲル (C. L. Siegel, 1896-1981)

ドイツの数論学者。解析的整数論および天体力学などの分野において数々の画期的な貢献をなした。特に、二次形式の解析的理論、ディオファントス方程式の整数解の有限性に関する「ジーゲルの定理」や、超越数論における「ジーゲルの補題」でその名を轟かせている。彼は非常に厳格で高い基準を持つ人物として知られ、抽象化が進む20世紀の数学界にあって、ブルバキに代表される抽象数学の潮流を強く批判し、具体的な古典的解析の手法を重んじた。その孤高の姿勢は多くの尊敬を集め、20世紀を代表する大数学者の一人に数えられている。

ハッセ (H. Hasse, 1898-1979)

ドイツの数学者。クルト・ヘンゼルの弟子としてp進数に関する理論を発展させ、p進解析の基礎付けとその数論への応用に多大な貢献をした。「局所・大域原理(ハッセの原理)」を確立し、類体論の整備や楕円曲線のL関数の研究などでも重要な足跡を残した。高木貞治の類体論をヨーロッパに紹介し、エミール・アルティンと共にその普及と発展に尽力したことでも知られている。また、「ハッセ図」や「ハッセ・ヴェイユのL関数」などにその名を冠されており、20世紀前半の代数的整数論を牽引した中心人物である。

岡潔 (K. Oka, 1901-1978)

日本の数学者。多変数複素関数論において、当時世界中の数学者が誰一人として解けなかった「三大問題(レビの問題など)」を、長年の孤高の研究の末にたった一人で全て解決するという驚異的な偉業を成し遂げた。その業績のあまりの先駆性と難解さから、発表当初は世界の数学界から正当に理解されるまで時間を要したという。また、独自の「情緒」を重んじる数学観・教育思想でも知られ、春の宵に数学の美しさを語る随筆『春宵十話』などは一般の読者にも広く愛読されている。晴れの日でもゴム長靴を履いて歩くなどの奇行も語り草となっている。

ジョン・フォン・ノイマン (J. von Neumann, 1903-1957)

ハンガリー出身のアメリカの数学者。純粋数学・応用数学の境界を越え、量子力学の厳密な数学的基礎付け、ゲーム理論の創始、セルオートマトンの研究など、極めて多岐にわたる分野で決定的な業績を残した。また、現代のコンピュータの基本構成である「プログラム内蔵方式(ノイマン型コンピュータ)」を考案し、情報科学の発展を牽引した。幼少期から語学や暗算で天才的な能力を発揮し、そのあまりに圧倒的な計算力と記憶力、論理的思考力から「悪魔の頭脳」「火星人」と称された。マンハッタン計画などの軍事研究にも深く関与した。

ヴェイユ (A. Weil, 1906-1998)

ユダヤ系のフランスの数学者。20世紀の数学に巨大な影響を与えた数学者集団「ブルバキ」の事実上のリーダーにして創設メンバーの一人。代数幾何学の厳密な基礎付けを行い、それを用いて有限体上の代数曲線に関するリーマン予想を証明した。彼が1949年に提唱した「ヴェイユ予想」は、その後の数十年にわたる代数幾何学の爆発的な発展の原動力となった。多様な言語や哲学(特にインド哲学)にも深い造詣を持ち、数学史の著作も残している。第二次大戦中は兵役拒否により投獄されるなど、波乱に満ちた人生を送った。

クルト・ゲーデル (K. Gödel, 1906-1978)

オーストリア出身の論理学者、数学者。1931年に発表した「不完全性定理」は、十分な表現力を持つ矛盾のない形式的公理系には、必ず証明も反証もできない命題が存在することを示し、ヒルベルトのプログラムに終止符を打つとともに数学・哲学界に根本的な衝撃を与えた。また「連続体仮説」の相対的無矛盾性を証明するなど、集合論においても偉大な業績を残した。アインシュタインと親交が深く、プリンストン高等研究所では共に散歩をしながら議論を交わす姿が有名であった。晩年は強迫神経症とパラノイアに苦しみ、毒殺を恐れて餓死した。

アラン・チューリング (A. Turing, 1912-1954)

イギリスの数学者、論理学者、暗号研究者。計算の概念を数学的に形式化した仮想機械「チューリングマシン」を考案し、現代の計算機科学と人工知能(AI)の父と呼ばれる。第二次世界大戦中にはブレッチリー・パークでドイツ軍の暗号「エニグマ」の解読に多大な貢献をし、連合国を勝利に導いた。戦後はコンピュータの開発や形態形成の数理生物学モデリング(チューリング・パターン)などにも取り組んだ。しかし当時のイギリスの法律により同性愛の罪で有罪判決を受け、その後41歳で青酸カリを盛ったリンゴをかじって悲劇的な死を遂げた。

小平邦彦 (K. Kodaira, 1915-1997)

日本の数学者。ヘルマン・ワイルに才能を見出されて渡米し、プリンストン高等研究所などで活躍。1954年に日本人として初めてフィールズ賞を受賞した。調和積分論を代数幾何学や複素多様体論に応用し、「小平の消滅定理」や「小平の埋め込み定理」、さらに複素解析曲面の分類など、数々の画期的な成果をもたらし、20世紀の幾何学の発展に絶大な貢献をした。帰国後は東京大学等で教鞭をとり、後進の育成や数学教育にも尽力した。ノートの端が真っ黒になるまで計算を繰り返すなど、愚直なまでに泥臭い努力を重んじた逸話も残る。

伊藤清 (K. Ito, 1915-2008)

日本の数学者。確率論において「確率積分」および「確率微分方程式(伊藤の公式、伊藤の補題)」と呼ばれる全く新しい分野を創始した。ランダムな動きを記述する彼の理論は、後にウォール街の金融工学(ブラック・ショールズ方程式など)の根幹を成す数学的基礎となり、経済学のみならず物理学や生物学など幅広い分野に絶大な影響を与えた。この多大な応用への貢献が評価され、2006年の国際数学者会議で第1回ガウス賞を受賞している。純粋な数学的探究から生まれた理論が、現実世界に計り知れない応用をもたらした美しい例である。

谷山豊 (Y. Taniyama, 1927-1958)

日本の数学者。1955年の国際シンポジウムにおいて、「すべての有理数体上の楕円曲線はモジュラーである」という、後に「谷山・志村予想」と呼ばれる壮大な予想の原型を弱冠28歳で提唱した。この予想は後に、全く無関係と思われていたフェルマーの最終定理を解くための最大の突破口(架け橋)となった。しかし、天才的なひらめきで数々のアイデアを生み出していた谷山は、婚約中であった1958年に31歳で突寄として自ら命を絶ってしまう。彼の遺志は親友の志村五郎らに引き継がれ、現代数論における最も重要な礎の一つとなった。

アレクサンドル・グロタンディーク (A. Grothendieck, 1928-2014)

フランスの数学者。スキーム理論、トポス理論、モチーフなどの壮大な概念を導入し、20世紀後半の代数幾何学の風景を根本から書き換えた最大の巨人。彼の徹底的な一般化と抽象化の手法は、現代数学全体に計り知れない影響を与え、ヴェイユ予想の解決にも決定的な道筋をつけた。1966年にフィールズ賞を受賞するが、軍事研究への反発から数学の表舞台を突如として去り、ピレネー山脈の麓で隠遁生活を送った。何千ページにも及ぶ未出版の草稿を残し、その思想は今なお数学界の至る所に深く根付いている。

志村五郎 (G. Shimura, 1930-2019)

日本の数学者。プリンストン大学名誉教授。親友であった谷山豊の悲劇的な死後、彼の遺志を引き継ぎ、曖昧だった直感を「谷山・志村予想」として厳密な数学的定式化へと昇華させた。この予想はアンドリュー・ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明の鍵となった。その他にも、数論幾何学におけるアーベル多様体の虚数乗法論や保型形式の研究において多大な業績を残し、「志村多様体」などにその名を残す。非常に厳格で妥協を許さない性格で知られ、自著の中でも数学の正確さに対して厳しい姿勢を貫いた。

広中平祐 (H. Hironaka, 1931-)

日本の数学者。1970年に小平邦彦に次いで日本人として2人目のフィールズ賞を受賞した。代数幾何学において極めて難解な問題とされていた「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消」を、何百ページにも及ぶ複雑な論証の末に見事に証明し、その後の代数幾何学や特異点論の発展に強烈なインパクトを与えた。自らを「泥臭い努力型」と称し、ひとつの問題に徹底的に執着して考え抜く姿勢を貫いた。また「数理科学振興会」を設立するなど、若い世代の数学教育や若手研究者の育成にも熱心に取り組んだ。

ベーカー (A. Baker, 1939-)

イギリスの数論学者。1970年の国際数学者会議にて、広中平祐らとともにフィールズ賞を授与された。代数的数の対数の線形形式に対する非自明な下限を与えるという「ベーカーの定理」を証明し、超越数論に画期的な飛躍をもたらした。この強力な定理によって、ディオファントス方程式の整数解の上限が計算可能になり、ガウスの類数問題(類数1の虚二次体の決定)の解決など、長年の未解決問題が次々と解かれることとなった。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで長きにわたり数論の研究を主導した。

ワイルズ (A. Wiles, 1953-)

イギリス生まれの数学者。岩澤理論やバーチ・スウィンナートン=ダイアー予想など、数論幾何学の重要課題で大きな貢献をした。10歳の時に図書館で出会った「フェルマーの最終定理」に魅了され、数学者となってからも秘密裏に7年間の孤独な研究を続けた。1993年に証明を一度発表するも欠陥が見つかり、苦難の末に元教え子のリチャード・テイラーの協力も得て、1995年に完全な証明を出版し、350年続いた数学史最大の難問に終止符を打った。この偉業により、特別賞としてフィールズ賞の銀の銘板が贈られた。

ファルティングス (G. Faltings, 1954-)

ドイツの数学者。1983年、28歳の時に、代数幾何学・数論幾何学における超難問であった「モーデル予想(種数が2以上の代数曲線上の有理点は有限個しかない)」を証明し、世界中の数学者を驚嘆させた。この業績により1986年にフィールズ賞を受賞。さらに、シャファレヴィッチ予想やテイト予想なども一挙に解決し、グロタンディークが築き上げた抽象的理論の強力さを実証した。極めて厳密かつ深い洞察力を持つことで知られ、現在でも数論幾何学の最高峰に君臨する研究者の一人として後進に多大な影響を与え続けている。

参考文献

フェルマーの大定理が解けた!オイラーからワイルズの証明まで 講談社

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