1. 序論:1969年7月20日、「静かの海」への降下と $2\,\text{KB}$ のコンピュータが成し遂げた奇跡
1969年7月20日、人類初の月面着陸を目指して降下を続けていたアポロ11号の月着陸船「イーグル(Eagle)」のコックピットに、突如として鋭い警告音が鳴り響いた。ディスプレイに表示されたプログラム・アラームは「1202」、続いて「1201」。月面高度わずか数キロメートル、降下エンジンの噴射によって巻き上がる月面の塵と激しい振動のなかで、船長ニール・アームストロングと月着陸船パイロットのバズ・オルドリンが頼りにしていたのは、MIT器械工学研究所(MIT Instrumentation Laboratory)が開発したアポロ誘導コンピュータ(Apollo Guidance Computer: AGC)であった。
当時のAGCのハードウェア仕様は、現代のスマートフォンの数百万分の一にも満たない。語長は15ビット(+パリティ1ビット)、クロック周波数は約 $2.048\,\text{MHz}$、書き換え可能な磁気コアメモリ(RAMに相当)はわずか $2,048$ ワード(約 $4\,\text{KB}$、実質的な作業領域は $2\,\text{KB}$ 強)、プログラムを格納する読み出し専用の磁気ロープメモリ(ROMに相当)も $36,864$ ワード(約 $72\,\text{KB}$) しかなかった。
さらに深刻だったのは、宇宙船が置かれた過酷な計測環境である。地球から月までの約38万キロメートルを飛行し、ピンポイントで着陸地点へ誘導するためには、宇宙船の3次元位置 $\mathbf{r} = [x, y, z]^T$ と3次元速度 $\mathbf{v} = [v_x, v_y, v_z]^T$ をリアルタイムに把握し続けなければならない。しかし、宇宙船に搭載されたどのセンサーも単独では到底信用できるものではなかった。
- 慣性計測装置(IMU: Inertial Measurement Unit):ジャイロスコープと加速度計によって宇宙船の姿勢と加速度を連続的に計測するが、加速度を時間積分して速度を求め、さらに積分して位置を求める推測航法(Dead Reckoning)では、微小なバイアス誤差や熱雑音が時間とともに2乗で蓄積(ドリフト)していく。数時間もすれば、計算上の位置は実際の軌道から何十キロメートルもずれてしまう。
- 光学六分儀(Sextant)による恒星・ランドマーク観測:宇宙飛行士が星と地球や月の縁(ホライズン)の角度を測定するが、人間の目視誤差や光学系の量子化誤差が避けられず、しかも間欠的にしか測定できない。
- 着陸レーダー(Landing Radar)と地上局からのドップラー追跡:電波の反射によって高度や相対速度を測るが、月面のクレーターの凹凸や大気・電離層揺らぎ、マルチパス反射によって激しいランダムノイズが混入する。
「時間とともにドリフトしていく物理モデルの予測」と「瞬間ごとに激しくばらつくノイズだらけのセンサー観測」。このどちらも不完全な2つの情報源を、わずか $2\,\text{KB}$ のRAMしか持たないコンピュータ上でリアルタイムに融合し、単独のどのセンサーよりも遥かに正確な「真の現在地と速度」を割り出すことは可能なのか?
この問いに完璧な数学的解答を与え、アポロ計画を成功へと導いたアルゴリズムこそ、ハンガリー生まれの数学者・制御工学者ルドルフ・エミール・カルマン(Rudolf Emil Kálmán, 1930–2016)が1960年に発表したカルマンフィルタ(Kalman Filter)である。
1.1 ルドルフ・カルマンの1960年論文と、NASAエイムズ研究センターでの運命の出会い
1958年の晩秋、28歳のカルマンはワシントンD.C.からボルチモアへ向かう夜行列車のなかで、ある根本的な発想の転換に到達した。当時、通信工学や制御理論におけるノイズ除去(フィルタリング)の主流は、ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener)とアンドレイ・コルモゴロフ(Andrey Kolmogorov)が1940年代に確立したウィーナー・フィルタ(Wiener Filter)であった。ウィーナー・フィルタは周波数領域(フーリエ変換・ラプラス変換)において定常確率過程のスペクトル密度を解析し、無限の過去からの観測履歴に対する積分方程式(ウィーナー・ホップ方程式)を解く手法であった。しかし、このアプローチは「システムが時間不変(定常)であること」を前提としており、ロケットの打ち上げや月軌道への遷移のように刻一刻と動特性が変化する非定常な多変数システムには適用が極めて困難だった。
カルマンは「周波数領域の伝達関数」という呪縛を捨て、システムを時間領域の1階連立微分・差分方程式(状態空間表現:State-Space Representation)として記述し直すことを着想した。1960年3月、カルマンは歴史的論文 “A New Approach to Linear Filtering and Prediction Problems”(『線形フィルタリングおよび予測問題への新しいアプローチ』)を発表する。興味深いことに、この論文は当初、電気工学系の学会誌からは「数学的に抽象的すぎて工学的な実用性が見えない」として冷遇され、最終的に機械工学系の学術誌である『Transactions of the ASME — Journal of Basic Engineering』に掲載された。
しかし、この論文の真価を誰よりも早く見抜いた人物がいた。カリフォルニア州マウンテンビューにあるNASAエイムズ研究センター(NASA Ames Research Center)で、アポロ宇宙船の月往復航法システムの研究を率いていたスタンリー・シュミット(Stanley F. Schmidt)である。
1960年11月、シュミットはカルマンをNASAエイムズ研究センターに招き、直接議論を交わした。カルマンが黒板に書き下した方程式を見た瞬間、シュミットは背筋が震えるほどの衝撃を受けたという。それまで宇宙軌道の決定には、1801年にカール・フリードリヒ・ガウス(Carl Friedrich Gauss)が小惑星ケレス(Ceres)の再発見のために考案したバッチ最小二乗法(Batch Least Squares)の改良版が使われていた。
ガウスのバッチ最小二乗法では、時刻 $t_1, t_2, \dots, t_T$ までのすべての観測データ $\mathbf{Z}_{1:T} = \{\mathbf{z}_1, \mathbf{z}_2, \dots, \mathbf{z}_T\}$ をメモリに保存し続け、新しい観測 $\mathbf{z}_{T+1}$ が得られるたびに、過去の全データを一括して巨大な正規方程式(Normal Equations)を立て直し、サイズが大きくなる行列の逆行列を $O(T^3)$ の計算量と $O(T)$ のメモリ空間をかけて再計算しなければならなかった。これは地上の大型メインフレームならばともかく、宇宙船に搭載する小型コンピュータでは絶対に実行不可能な計算負荷であった。
これに対し、カルマンが示したアルゴリズムはマルコフ性(Markov Property)と十分統計量(Sufficient Statistics)の概念を極限まで活用した再帰的推定器(Recursive Estimator)であった。すなわち、過去の何千回もの観測データ $\mathbf{Z}_{1:k-1}$ を一切保存しておく必要はなく、「直前の時刻における状態推定値ベクトル $\hat{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}$」と「その不確実性を表す誤差共分散行列 $\mathbf{P}_{k-1\mid k-1}$」の2つだけをメモリに保持しておけば、新しい観測 $\mathbf{z}_k$ が届いた瞬間に $O(1)$ の時間・空間計算量(状態次元 $n$ に対しては $O(n^3)$ だが、経過時間 $k$ には一切依存しない定数サイズ)で、全履歴を一括処理したのと数学的に寸分違わぬ最適推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ を更新できることを証明したのである。
シュミットのチームは直ちにカルマンの線形理論を、ケプラー軌道力学という非線形システムへと拡張し、今日拡張カルマンフィルタ(Extended Kalman Filter: EKF、歴史的には「カルマン・シュミット・フィルタ」)と呼ばれるアルゴリズムを誕生させた。1961年初頭にはシミュレーションで圧倒的な精度が実証され、MIT器械工学研究所のリチャード・バッティン(Richard H. Battin)らによってアポロ誘導コンピュータ(AGC)の航法ソフトウェアへと組み込まれたのである。
本稿では、このカルマンフィルタがなぜ「誤差だらけの予測」と「ノイズだらけの観測」から真実を抽出できるのか、その背後にある数理統計学・線形代数学・最適制御理論の結晶を、1次元の直観的導出から多変量状態空間の厳密証明、非線形拡張(EKF/UKF/SLAM)、そしてPythonによる実践的シミュレーションまで余すところなく解き明かす。
2. 1次元における数学的奇跡:なぜ2つの不確かな正規分布を掛け合わせると、単独のどのセンサーよりも分散が小さくなるのか?
行列やベクトルを用いた一般論に入る前に、カルマンフィルタの核心にある「数学的奇跡」を最も純粋な1次元(スカラー)モデルで体験しよう。ここにはベイズ推論と情報融合の本質がすべて凝縮されている。
2.1 問題設定:不確かな予測と不確かなセンサーの対립
いま、直線状のレールの上を走る探査車の現在位置 $x \in \mathbb{R}$ を知りたいとする。私たちの手元には、互いに独立な2つの不確かな情報源がある。
- $$p(x) = \mathcal{N}(x \mid \mu_p, \sigma_p^2) = \frac{1}{\sqrt{2\pi \sigma_p^2}} \exp\!\left( -\frac{(x - \mu_p)^2}{2\sigma_p^2} \right)$$
ここで $\sigma_p^2$ は「予測の不確かさ(タイヤのスリップや加減速の揺らぎ)」を表す。
- $$p(z \mid x) = \mathcal{N}(z \mid x, \sigma_m^2) = \frac{1}{\sqrt{2\pi \sigma_m^2}} \exp\!\left( -\frac{(x - \mu_m)^2}{2\sigma_m^2} \right)$$
ここで素朴な疑問が生じる。予測値 $\mu_p$ にも誤差(標準偏差 $\sigma_p$)があり、センサー測定値 $\mu_m$ にも誤差(標準偏差 $\sigma_m$)がある。たとえば予測が $\mu_p = 100\,\text{m}$(標準偏差 $\sigma_p = 4\,\text{m}$、分散 $\sigma_p^2 = 16\,\text{m}^2$)、GPS測定値が $\mu_m = 110\,\text{m}$(標準偏差 $\sigma_m = 3\,\text{m}$、分散 $\sigma_m^2 = 9\,\text{m}^2$)だったとしよう。この2つをどう組み合わせれば最も確からしい位置が求まるのか?そして、組み合わせた後の誤差はどうなるのか?
2.2 ベイズの定理と「2つのガウス分布の積」の平方完成による厳密導出
ベイズの定理(Bayes’ Theorem)によれば、観測 $z$ を得た後の真の位置 $x$ の事後確率密度関数(Posterior PDF)$p(x \mid z)$ は、事前分布 $p(x)$ と尤度関数 $p(z \mid x)$ の積に比例する。
$$p(x \mid z) = \frac{p(z \mid x)\,p(x)}{p(z)} \propto p(x) \cdot p(z \mid x)$$正規分布の式を代入すると、変数 $x$ に依存しない正規化定数(分母の周辺尤度 $p(z)$ や $\frac{1}{\sqrt{2\pi\sigma^2}}$ の係数)を比例記号 $\propto$ に吸収させて、次のように書ける。
$$p(x \mid z) \propto \exp\!\left(-\frac{(x - \mu_p)^2}{2\sigma_p^2}\right) \cdot \exp\!\left(-\frac{(x - \mu_m)^2}{2\sigma_m^2}\right) = \exp\!\left( -\frac{(x - \mu_p)^2}{2\sigma_p^2} - \frac{(x - \mu_m)^2}{2\sigma_m^2} \right)$$驚くべきことに、2つのガウス分布の積は、再び新たなガウス分布 $\mathcal{N}(\mu_{\text{new}}, \sigma_{\text{new}}^2)$ になる(これを統計学では正規分布族の共役性:Conjugacy と呼ぶ)。つまり、ある新しい平均 $\mu_{\text{new}}$ と新しい分散 $\sigma_{\text{new}}^2$ が存在して、
$$p(x \mid z) \propto \exp\!\left( -\frac{(x - \mu_{\text{new}})^2}{2\sigma_{\text{new}}^2} \right)$$と一致するはずである。この $\mu_{\text{new}}$ と $\sigma_{\text{new}}^2$ を求めるため、指数関数の肩にある二次形式 $J(x)$ を展開して平方完成(Completing the Square)を行おう。
$$J(x) = \frac{(x - \mu_p)^2}{2\sigma_p^2} + \frac{(x - \mu_m)^2}{2\sigma_m^2}$$まず、分子の2乗を展開し、$x^2$ の項、$x$ の1次の項、$x$ を含まない定数項に整理する。
$$\begin{aligned} J(x) &= \frac{x^2 - 2\mu_p x + \mu_p^2}{2\sigma_p^2} + \frac{x^2 - 2\mu_m x + \mu_m^2}{2\sigma_m^2} \\ &= \frac{1}{2}\left( \frac{1}{\sigma_p^2} + \frac{1}{\sigma_m^2} \right) x^2 - \left( \frac{\mu_p}{\sigma_p^2} + \frac{\mu_m}{\sigma_m^2} \right) x + \frac{1}{2}\left( \frac{\mu_p^2}{\sigma_p^2} + \frac{\mu_m^2}{\sigma_m^2} \right) \end{aligned}$$一方、目標とする事後ガウス分布の指数部の二次形式を展開すると、
$$\frac{(x - \mu_{\text{new}})^2}{2\sigma_{\text{new}}^2} = \frac{1}{2\sigma_{\text{new}}^2} x^2 - \frac{\mu_{\text{new}}}{\sigma_{\text{new}}^2} x + \frac{\mu_{\text{new}}^2}{2\sigma_{\text{new}}^2}$$となる($x$ を含まない定数項の違いは $\exp(\text{const})$ として正規化定数に吸収されるため、確率密度関数の形状には一切影響しない)。両辺の $x^2$ の係数と $x$ の1次の係数を比較することで、直ちに次の2つの基本恒等式が得られる。
第1の恒等式:事後分散 $\sigma_{\text{new}}^2$ と「精度(Precision)の加法性」
$x^2$ の係数を比較すると、
$$\frac{1}{\sigma_{\text{new}}^2} = \frac{1}{\sigma_p^2} + \frac{1}{\sigma_m^2}$$が得られる。これを通分して逆数をとれば、事後分散 $\sigma_{\text{new}}^2$ は次のようになる。
$$\sigma_{\text{new}}^2 = \frac{1}{\dfrac{1}{\sigma_p^2} + \dfrac{1}{\sigma_m^2}} = \frac{\sigma_p^2 \sigma_m^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2}$$第2の恒等式:事後平均 $\mu_{\text{new}}$ と「1次元カルマンゲイン $K$」
次に、$x$ の1次の係数を比較すると、
$$\frac{\mu_{\text{new}}}{\sigma_{\text{new}}^2} = \frac{\mu_p}{\sigma_p^2} + \frac{\mu_m}{\sigma_m^2}$$両辺に $\sigma_{\text{new}}^2 = \frac{\sigma_p^2 \sigma_m^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2}$ を掛けると、事後平均 $\mu_{\text{new}}$ が求まる。
$$\mu_{\text{new}} = \sigma_{\text{new}}^2 \left( \frac{\mu_p}{\sigma_p^2} + \frac{\mu_m}{\sigma_m^2} \right) = \frac{\sigma_m^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} \mu_p + \frac{\sigma_p^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} \mu_m$$ここで、重み係数として1次元カルマンゲイン(Kalman Gain)$K$ を次のように定義しよう。
$$K \triangleq \frac{\sigma_p^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} \in [0, 1]$$すると、$\frac{\sigma_m^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} = 1 - K$ であるから、事後平均 $\mu_{\text{new}}$ と事後分散 $\sigma_{\text{new}}^2$ は驚くほど簡潔で美しい形に書き直される(測定値を $\mu_m = z$ と表記する)。
$$\begin{aligned} K &= \frac{\sigma_p^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} \\ \mu_{\text{new}} &= (1 - K)\mu_p + K z = \mu_p + K(z - \mu_p) \\ \sigma_{\text{new}}^2 &= (1 - K)\sigma_p^2 = \frac{\sigma_p^2 \sigma_m^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} \end{aligned}$$2.3 核心的洞察:なぜ統合後の不確実性は「どちらの情報源よりも厳密に小さくなる」のか?
いま導出した式には、直観を覆す深い数学的真実が秘められている。
第1に、カルマンゲイン $K = \frac{\sigma_p^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2}$ の振る舞いを見よう。
- センサーが極めて正確で、予測が不確かなとき($\sigma_m^2 \ll \sigma_p^2$): $K \to \frac{\sigma_p^2}{\sigma_p^2 + 0} = 1$ となる。このとき $\mu_{\text{new}} = \mu_p + 1\cdot(z - \mu_p) = z$ となり、フィルタは頼りない予測を捨ててセンサーの測定値 $z$ を100%採用する。
- センサーがノイズだらけで、予測が極めて確かなとき($\sigma_m^2 \gg \sigma_p^2$): $K \to 0$ となる。このとき $\mu_{\text{new}} = \mu_p + 0\cdot(z - \mu_p) = \mu_p$ となり、フィルタはノイズまみれのセンサー測定値を無視して物理モデルの予測 $\mu_p$ を維持する。
- すなわち、カルマンゲイン $K$ とは「予測値 $\mu_p$ と観測値 $z$ の食い違い(イノベーション $z - \mu_p$)を、どれだけの割合で信じて予測を修正するか」を決める最適天秤(重み付け係数)にほかならない。
第2に、さらに重要なのが事後分散 $\sigma_{\text{new}}^2$ の不等式である。任意の正の実数 $\sigma_p^2 > 0, \sigma_m^2 > 0$ に対して、$0 < K = \frac{\sigma_p^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} < 1$ であり、かつ対称性から、
$$\sigma_{\text{new}}^2 = \frac{\sigma_p^2 \sigma_m^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2} = \sigma_p^2 \cdot \underbrace{\frac{\sigma_m^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2}}_{< 1} = \sigma_m^2 \cdot \underbrace{\frac{\sigma_p^2}{\sigma_p^2 + \sigma_m^2}}_{< 1} \implies \sigma_{\text{new}}^2 < \min(\sigma_p^2, \sigma_m^2)$$が常に厳密に成り立つ!
これを電気回路の並列抵抗や統計学の精度(Precision)$\tau \equiv 1/\sigma^2$(あるいはフィッシャー情報量 $I = 1/\sigma^2$)の観点で見ると一目瞭然である。ガウス分布において、分散の逆数である精度 $\tau$ は「その情報源が持つ情報量の多さ(確信度)」を表す。2つの独立なガウス情報源をベイズ統合すると、精度(情報量)が単純に足し算されるのである。
$$\tau_{\text{new}} = \tau_p + \tau_m \implies \frac{1}{\sigma_{\text{new}}^2} = \frac{1}{\sigma_p^2} + \frac{1}{\sigma_m^2}$$たとえどんなにノイズの大きい粗悪なセンサー($\sigma_m^2$ が大きい、すなわち $\tau_m = 1/\sigma_m^2$ が小さい)であっても、その分散が無限大でない限り $\tau_m > 0$ の正の情報量を持っている。したがって、それを既存の予測(情報量 $\tau_p$)に掛け合わせれば、統合後の総情報量 $\tau_{\text{new}} = \tau_p + \tau_m$ は必ず元のどちらよりも大きくなり、その逆数である不確実性(分散 $\sigma_{\text{new}}^2$)は、単独の予測よりも、単独のセンサーよりも、必ず小さくなるのである。
先ほどの具体的な数値例で確認してみよう。
- 予測:$\mu_p = 100\,\text{m}$、分散 $\sigma_p^2 = 16\,\text{m}^2$(標準偏差 $\sigma_p = 4.0\,\text{m}$)
- GPS観測:$z = 110\,\text{m}$、分散 $\sigma_m^2 = 9\,\text{m}^2$(標準偏差 $\sigma_m = 3.0\,\text{m}$)
このとき、カルマンゲイン $K$、事後平均 $\mu_{\text{new}}$、事後分散 $\sigma_{\text{new}}^2$ は次のようになる。
$$\begin{aligned} K &= \frac{16}{16 + 9} = \frac{16}{25} = 0.64 \\ \mu_{\text{new}} &= 100 + 0.64 \times (110 - 100) = 106.4\,\text{m} \\ \sigma_{\text{new}}^2 &= (1 - 0.64) \times 16 = 0.36 \times 16 = \frac{144}{25} = 5.76\,\text{m}^2 \quad (\text{標準偏差 } \sigma_{\text{new}} = 2.4\,\text{m}) \end{aligned}$$予測の誤差は $\pm 4.0\,\text{m}$、GPSの誤差は $\pm 3.0\,\text{m}$ だったにもかかわらず、両者をカルマンフィルタで融合した瞬間に、推定位置 $106.4\,\text{m}$ の誤差(標準偏差)は $\pm 2.4\,\text{m}$ へと劇的に縮小したのである!これこそが、アポロ宇宙船や現代の自動運転車が、不完全なセンサー群から驚くべき精度で現在地を特定できる根本的な数学的理由である。
3. 多変量状態空間モデルとカルマンフィルタの5大方程式の完全導出
1次元で確認したベイズ更新の原理を、位置・速度・姿勢・センサーバイアスなど複数の状態変数が互いに絡み合いながら時間発展する多変量線形動的システム(Multivariate Linear Dynamical System)へと一般化しよう。
3.1 連続時間物理系から離散時間状態空間モデルへの変換
ニュートン力学や電磁気学に基づく物理システムは、本来は連続時間 $t$ における微分方程式として記述される。状態ベクトルを $\mathbf{x}(t) \in \mathbb{R}^n$、制御入力ベクトルを $\mathbf{u}(t) \in \mathbb{R}^p$、連続時間白色ガウス雑音を $\mathbf{w}_c(t)$ とすると、線形確率微分方程式は次のように書ける。
$$\frac{d\mathbf{x}(t)}{dt} = \mathbf{A}\mathbf{x}(t) + \mathbf{B}_c\mathbf{u}(t) + \mathbf{G}\mathbf{w}_c(t)$$デジタルコンピュータ(AGCや現代のマイコン)でこれを処理するためには、サンプリング周期 $\Delta t = t_k - t_{k-1}$ で時間を離散化する必要がある。状態遷移行列(State Transition Matrix)$\mathbf{F}_k \in \mathbb{R}^{n \times n}$ は行列指数関数(Matrix Exponential)によって次のように定義される。
$$\mathbf{F}_k = e^{\mathbf{A}\Delta t} = \mathbf{I} + \mathbf{A}\Delta t + \frac{(\mathbf{A}\Delta t)^2}{2!} + \frac{(\mathbf{A}\Delta t)^3}{3!} + \cdots$$また、サンプリング区間 $[t_{k-1}, t_k]$ で制御入力 $\mathbf{u}_k$ が一定(ゼロ次ホールド)であるとすれば、制御入力行列 $\mathbf{B}_k$ と離散時間プロセスノイズ共分散行列 $\mathbf{Q}_k$(連続時間ノイズのスペクトル密度行列を $\mathbf{Q}_c$ とする)はそれぞれ次の積分で与えられる。
$$\mathbf{B}_k = \int_0^{\Delta t} e^{\mathbf{A}\tau}\mathbf{B}_c\,d\tau, \qquad \mathbf{Q}_k = \int_0^{\Delta t} e^{\mathbf{A}\tau}\mathbf{G}\mathbf{Q}_c\mathbf{G}^T e^{\mathbf{A}^T\tau}\,d\tau$$これにより、カルマンフィルタの舞台となる離散時間線形状態空間モデル(Discrete-Time Linear State-Space Model)の2本柱——状態方程式(State Equation)と観測方程式(Observation / Measurement Equation)——が定式化される。
$$\begin{aligned} \mathbf{x}_k &= \mathbf{F}_k \mathbf{x}_{k-1} + \mathbf{B}_k \mathbf{u}_k + \mathbf{w}_k \qquad (\text{状態方程式 / システムモデル}) \\ \mathbf{z}_k &= \mathbf{H}_k \mathbf{x}_k + \mathbf{v}_k \qquad\qquad\qquad (\text{観測方程式 / センサーモデル}) \end{aligned}$$ここで各記号の次元と数学的定義は以下の通りである。
- $\mathbf{x}_k \in \mathbb{R}^n$:時刻 $k$ におけるシステムの真の状態ベクトル(直接知ることはできない隠れ状態:Hidden State)。
- $\mathbf{u}_k \in \mathbb{R}^p$:時刻 $k$ における既知の制御入力ベクトル(スラスタ噴射量、ステアリング角、モーター電流など)。
- $\mathbf{z}_k \in \mathbb{R}^m$:時刻 $k$ にセンサーから得られた観測ベクトル。
- $\mathbf{F}_k \in \mathbb{R}^{n \times n}$:前時刻の状態 $\mathbf{x}_{k-1}$ を現時刻の状態 $\mathbf{x}_k$ へ写像する状態遷移行列。
- $\mathbf{B}_k \in \mathbb{R}^{n \times p}$:制御入力 $\mathbf{u}_k$ を状態変化へ変換する制御入力行列。
- $\mathbf{H}_k \in \mathbb{R}^{m \times n}$:状態空間 $\mathbb{R}^n$ から観測空間 $\mathbb{R}^m$ への線形写像を表す観測行列。
- $\mathbf{w}_k \in \mathbb{R}^n$:モデル化されていない外乱(風圧、重力異常、摩擦揺らぎなど)を表すプロセスノイズ(システム雑音)。平均ゼロ、共分散行列 $\mathbf{Q}_k \in \mathbb{R}^{n \times n}$(半正定値対称行列 $\mathbf{Q}_k \succeq \mathbf{0}$)の白色ガウス雑音 $\mathbf{w}_k \sim \mathcal{N}(\mathbf{0}, \mathbf{Q}_k)$。
- $\mathbf{v}_k \in \mathbb{R}^m$:センサー固有の測定誤差を表す観測ノイズ(測定雑音)。平均ゼロ、共分散行列 $\mathbf{R}_k \in \mathbb{R}^{m \times m}$(正定値対称行列 $\mathbf{R}_k \succ \mathbf{0}$)の白色ガウス雑音 $\mathbf{v}_k \sim \mathcal{N}(\mathbf{0}, \mathbf{R}_k)$。
さらに、初期状態 $\mathbf{x}_0 \sim \mathcal{N}(\hat{\mathbf{x}}_{0\mid 0}, \mathbf{P}_{0\mid 0})$ と、すべての時刻のノイズ系列 $\{\mathbf{w}_k\}, \{\mathbf{v}_k\}$ は互いに統計的に独立(無相関)であると仮定する。
$$\mathbb{E}[\mathbf{w}_k \mathbf{w}_j^T] = \mathbf{Q}_k \delta_{kj}, \quad \mathbb{E}[\mathbf{v}_k \mathbf{v}_j^T] = \mathbf{R}_k \delta_{kj}, \quad \mathbb{E}[\mathbf{w}_k \mathbf{v}_j^T] = \mathbf{0} \quad (\forall k, j)$$(ここで $\delta_{kj}$ はクロネッカーのデルタである。)
3.2 表記法の整理:事前推定(A Priori)と事後推定(A Posteriori)
カルマンフィルタの導出において最も重要なのは、条件付き期待値の下付き添字 $k \mid k-1$ と $k \mid k$ の区別である。時刻 $1$ から時刻 $j$ までのすべての観測データの集合を $\mathbf{Z}_{1:j} = \{\mathbf{z}_1, \mathbf{z}_2, \dots, \mathbf{z}_j\}$ と書くとき、
- 事前状態推定値(A Priori State Estimate)$\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$: 時刻 $k$ の観測 $\mathbf{z}_k$ を得る前(時刻 $k-1$ までの観測 $\mathbf{Z}_{1:k-1}$ が与えられた条件下)における $\mathbf{x}_k$ の条件付き期待値。 $$\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} \triangleq \mathbb{E}[\mathbf{x}_k \mid \mathbf{Z}_{1:k-1}]$$
- 事後状態推定値(A Posteriori State Estimate)$\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$: 時刻 $k$ の観測 $\mathbf{z}_k$ を取り込んだ後(時刻 $k$ までの観測 $\mathbf{Z}_{1:k}$ が与えられた条件下)における $\mathbf{x}_k$ の条件付き期待値。 $$\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k} \triangleq \mathbb{E}[\mathbf{x}_k \mid \mathbf{Z}_{1:k}]$$
それぞれに対応する推定誤差ベクトルを $\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} \triangleq \mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ および $\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k} \triangleq \mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ と定義すると、事前誤差共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k-1}$ と事後誤差共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k}$ は次のように定義される。
$$\begin{aligned} \mathbf{P}_{k\mid k-1} &\triangleq \mathbb{E}\!\left[ (\mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1})(\mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1})^T \,\middle|\, \mathbf{Z}_{1:k-1} \right] = \mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}^T] \\ \mathbf{P}_{k\mid k} &\triangleq \mathbb{E}\!\left[ (\mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k})(\mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k})^T \,\middle|\, \mathbf{Z}_{1:k} \right] = \mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k}\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k}^T] \end{aligned}$$3.3 ステップ1:予測ステップ(Time Update / Chapman-Kolmogorov 遷移)の導出
時刻 $k-1$ において、事後推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}$ と事後誤差共分散行列 $\mathbf{P}_{k-1\mid k-1}$ がすでに求まっているとしよう。ここから時刻 $k$ の観測 $\mathbf{z}_k$ が届くまでの間に、物理モデル(状態方程式)を使って状態を1ステップ未来へ進める。
まず、状態方程式 $\mathbf{x}_k = \mathbf{F}_k \mathbf{x}_{k-1} + \mathbf{B}_k \mathbf{u}_k + \mathbf{w}_k$ の両辺について、$\mathbf{Z}_{1:k-1}$ を条件とする条件付き期待値をとる。期待値演算子の線形性、既知入力 $\mathbf{u}_k$ の確定性、およびプロセスノイズ $\mathbf{w}_k$ が過去の観測と独立で平均ゼロ($\mathbb{E}[\mathbf{w}_k \mid \mathbf{Z}_{1:k-1}] = \mathbf{0}$)であることから、第1の方程式(状態予測式)が直ちに導かれる。
$$\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} = \mathbb{E}[\mathbf{F}_k \mathbf{x}_{k-1} + \mathbf{B}_k \mathbf{u}_k + \mathbf{w}_k \mid \mathbf{Z}_{1:k-1}] = \mathbf{F}_k \hat{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1} + \mathbf{B}_k \mathbf{u}_k \qquad \text{--- (式1)}$$次に、事前推定誤差 $\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} = \mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ を計算すると、制御入力項 $\mathbf{B}_k \mathbf{u}_k$ が相殺されて消え、
$$\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} = (\mathbf{F}_k \mathbf{x}_{k-1} + \mathbf{B}_k \mathbf{u}_k + \mathbf{w}_k) - (\mathbf{F}_k \hat{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1} + \mathbf{B}_k \mathbf{u}_k) = \mathbf{F}_k \tilde{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1} + \mathbf{w}_k$$となる。この外積の期待値をとって事前誤差共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k-1}$ を求める。前時刻の推定誤差 $\tilde{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}$ と現時刻の新たなプロセスノイズ $\mathbf{w}_k$ は無相関($\mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}\mathbf{w}_k^T] = \mathbf{0}$)であるから、交差項はゼロになり、第2の方程式(共分散予測式)が得られる。
$$\begin{aligned} \mathbf{P}_{k\mid k-1} &= \mathbb{E}\!\left[ (\mathbf{F}_k \tilde{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1} + \mathbf{w}_k)(\mathbf{F}_k \tilde{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1} + \mathbf{w}_k)^T \right] \\ &= \mathbf{F}_k \mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}\tilde{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}^T] \mathbf{F}_k^T + \mathbb{E}[\mathbf{w}_k \mathbf{w}_k^T] \\ &= \mathbf{F}_k \mathbf{P}_{k-1\mid k-1} \mathbf{F}_k^T + \mathbf{Q}_k \qquad \text{--- (式2)} \end{aligned}$$この式2の物理的意味は極めて明快である。時間が1ステップ進むと、システムダイナミクス $\mathbf{F}_k$ によって不確実性の楕円体(共分散 $\mathbf{P}_{k-1\mid k-1}$)が引き伸ばされ・回転し($\mathbf{F}_k \mathbf{P}_{k-1\mid k-1} \mathbf{F}_k^T$)、さらにそこへ新たな外乱の不確実性 $\mathbf{Q}_k$ が加算される。つまり、外部からの観測がない限り、予測ステップだけでは不確実性(エントロピー)は時間とともに増大し続ける(これが慣性航法のドリフトの正体である)。
3.4 ステップ2:更新ステップ(Measurement Update)とジョセフ形式・行列微積分による最適カルマンゲインの導出
さて、時刻 $k$ においてセンサーから新しい観測ベクトル $\mathbf{z}_k = \mathbf{H}_k \mathbf{x}_k + \mathbf{v}_k$ が到着した! まず、事前推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ から予測される観測値 $\hat{\mathbf{z}}_{k\mid k-1} = \mathbf{H}_k \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ と、実際の観測値 $\mathbf{z}_k$ との差をイノベーション(Innovation、または観測残差 Measurement Residual)$\tilde{\mathbf{y}}_k$ と呼ぶ。
$$\tilde{\mathbf{y}}_k \triangleq \mathbf{z}_k - \mathbf{H}_k \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} = \mathbf{H}_k(\mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}) + \mathbf{v}_k = \mathbf{H}_k \tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} + \mathbf{v}_k$$なぜこれを単なる「残差」ではなく「イノベーション(新情報)」と呼ぶのか?それは、$\mathbf{H}_k \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ が過去の観測履歴 $\mathbf{Z}_{1:k-1}$ から予測可能な部分であり、それを差し引いた残り $\tilde{\mathbf{y}}_k$ こそが「時刻 $k$ の観測 $\mathbf{z}_k$ によって初めてもたらされた、過去とは直交する純粋に新しい情報」だからである。事前誤差 $\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ と観測ノイズ $\mathbf{v}_k$ は無相関であるから、イノベーション $\tilde{\mathbf{y}}_k$ の共分散行列であるイノベーション共分散(Innovation Covariance)$\mathbf{S}_k \in \mathbb{R}^{m \times m}$ は次のように求まる。
$$\mathbf{S}_k \triangleq \mathbb{E}[\tilde{\mathbf{y}}_k \tilde{\mathbf{y}}_k^T] = \mathbf{H}_k \mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}^T]\mathbf{H}_k^T + \mathbb{E}[\mathbf{v}_k \mathbf{v}_k^T] = \mathbf{H}_k \mathbf{P}_{k\mid k-1} \mathbf{H}_k^T + \mathbf{R}_k$$1次元の場合と同様に、事後推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ を、事前推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ にイノベーション $\tilde{\mathbf{y}}_k$ の線形結合を加えた形(線形不偏推定器)として構成する。
$$\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k} = \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} + \mathbf{K}_k \tilde{\mathbf{y}}_k = \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} + \mathbf{K}_k (\mathbf{z}_k - \mathbf{H}_k \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}) \qquad \text{--- (式3)}$$ここで $\mathbf{K}_k \in \mathbb{R}^{n \times m}$ は未定のゲイン行列である。このとき、事後推定誤差 $\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k} = \mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ を変形すると、
$$\begin{aligned} \tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k} &= \mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} - \mathbf{K}_k(\mathbf{H}_k \mathbf{x}_k + \mathbf{v}_k - \mathbf{H}_k \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}) \\ &= \tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} - \mathbf{K}_k(\mathbf{H}_k \tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} + \mathbf{v}_k) \\ &= (\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} - \mathbf{K}_k \mathbf{v}_k \end{aligned}$$となる。$\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}$ と観測ノイズ $\mathbf{v}_k$ は無相関($\mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}\mathbf{v}_k^T] = \mathbf{0}$)であるから、事後誤差共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k} = \mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k}\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k}^T]$ は、任意のゲイン行列 $\mathbf{K}_k$ に対して次の形で厳密に成立する。
$$\mathbf{P}_{k\mid k} = (\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)\mathbf{P}_{k\mid k-1}(\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)^T + \mathbf{K}_k \mathbf{R}_k \mathbf{K}_k^T \qquad (\text{ジョセフ安定化形式:Joseph Form})$$この式はピーター・ジョセフ(Peter D. Joseph)とリチャード・バッティンらがアポロ計画の数値安定化のために導入したことからジョセフ安定化共分散形式(Joseph Stabilized Covariance Form)と呼ばれる。右辺を展開してみよう。
$$\mathbf{P}_{k\mid k} = \mathbf{P}_{k\mid k-1} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k \mathbf{P}_{k\mid k-1} - \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T \mathbf{K}_k^T + \mathbf{K}_k (\underbrace{\mathbf{H}_k \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T + \mathbf{R}_k}_{\mathbf{S}_k}) \mathbf{K}_k^T$$さて、私たちが求める最適カルマンゲイン $\mathbf{K}_k$ とは、推定誤差ベクトルの二乗ノルムの期待値(平均二乗誤差:Mean Squared Error, MSE)を最小化する行列である。状態推定誤差の二乗ノルムの期待値は、共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k}$ の対角成分の総和、すなわちトレース(Trace)に等しい。
$$J(\mathbf{K}_k) \triangleq \mathbb{E}\!\left[ \|\mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}\|_2^2 \right] = \mathbb{E}\!\left[ \operatorname{Tr}(\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k}\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k}^T) \right] = \operatorname{Tr}(\mathbf{P}_{k\mid k})$$行列微積分(Matrix Calculus)の公式——対称行列 $\mathbf{M}$ に対して $\frac{\partial \operatorname{Tr}(\mathbf{A}\mathbf{B}^T)}{\partial \mathbf{A}} = \mathbf{B}$、$\frac{\partial \operatorname{Tr}(\mathbf{B}\mathbf{A}^T)}{\partial \mathbf{A}} = \mathbf{B}$、および $\frac{\partial \operatorname{Tr}(\mathbf{A}\mathbf{M}\mathbf{A}^T)}{\partial \mathbf{A}} = 2\mathbf{A}\mathbf{M}$——を用いて、$\operatorname{Tr}(\mathbf{P}_{k\mid k})$ を $\mathbf{K}_k$ で偏微分し、ゼロ行列と置こう($\mathbf{P}_{k\mid k-1}$ と $\mathbf{S}_k$ は対称行列であることに注意)。
$$\frac{\partial \operatorname{Tr}(\mathbf{P}_{k\mid k})}{\partial \mathbf{K}_k} = -2\mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T + 2\mathbf{K}_k \mathbf{S}_k = \mathbf{0}$$これより、最適カルマンゲインを与える第4の方程式(カルマンゲイン式)が鮮やかに導出される!
$$\mathbf{K}_k \mathbf{S}_k = \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T \implies \mathbf{K}_k = \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T \mathbf{S}_k^{-1} = \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T (\mathbf{H}_k \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T + \mathbf{R}_k)^{-1} \qquad \text{--- (式4)}$$さらに、この最適ゲインの関係式 $\mathbf{K}_k \mathbf{S}_k \mathbf{K}_k^T = \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T \mathbf{K}_k^T$ を先ほどの展開式に代入すると、後半の2つの項 $-\mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T \mathbf{K}_k^T + \mathbf{K}_k \mathbf{S}_k \mathbf{K}_k^T$ がちょうど打ち消し合って消滅し、第5の方程式(共分散更新の標準簡略形式)が得られる。
$$\mathbf{P}_{k\mid k} = \mathbf{P}_{k\mid k-1} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k \mathbf{P}_{k\mid k-1} = (\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)\mathbf{P}_{k\mid k-1} \qquad \text{--- (式5)}$$(なお、逆行列の補助定理であるウッドベリーの行列恒等式:Woodbury Matrix Identity を用いると、式5は精度行列=情報行列 $\mathbf{P}^{-1}$ の加法性として $\mathbf{P}_{k\mid k}^{-1} = \mathbf{P}_{k\mid k-1}^{-1} + \mathbf{H}_k^T \mathbf{R}_k^{-1} \mathbf{H}_k$ と書くこともできる。これは第2節で見た1次元の精度の足し算 $\frac{1}{\sigma_{\text{new}}^2} = \frac{1}{\sigma_p^2} + \frac{1}{\sigma_m^2}$ の完全な多変量一般化であり、この逆行列形式で更新を行うフィルタを情報フィルタ:Information Filter と呼ぶ。)
flowchart TD
Init["初期状態の入力<br/>x̂₀|₀, P₀|₀"] --> PredictState["【予測ステップ 1】状態予測 (Time Update)<br/>x̂ₖ|ₖ₋₁ = Fₖ x̂ₖ₋₁|ₖ₋₁ + Bₖ uₖ"]
PredictState --> PredictCov["【予測ステップ 2】事前誤差共分散の予測<br/>Pₖ|ₖ₋₁ = Fₖ Pₖ₋₁|ₖ₋₁ Fₖᵀ + Qₖ"]
PredictCov --> Measure["センサー観測 zₖ の取得<br/>イノベーション ỹₖ = zₖ - Hₖ x̂ₖ|ₖ₋₁<br/>イノベーション共分散 Sₖ = Hₖ Pₖ|ₖ₋₁ Hₖᵀ + Rₖ"]
Measure --> Gain["【更新ステップ 1】最適カルマンゲインの計算<br/>Kₖ = Pₖ|ₖ₋₁ Hₖᵀ Sₖ⁻¹"]
Gain --> UpdateState["【更新ステップ 2】事後状態推定値の更新<br/>x̂ₖ|ₖ = x̂ₖ|ₖ₋₁ + Kₖ ỹₖ"]
UpdateState --> UpdateCov["【更新ステップ 3】事後誤差共分散の更新<br/>Pₖ|ₖ = (I - Kₖ Hₖ) Pₖ|ₖ₋₁ (またはジョセフ形式)"]
UpdateCov --> NextStep["時刻ステップを進める (k ← k + 1)"]
NextStep --> PredictState
3.5 アポロ計画の危機と数値線形代数:なぜ「標準形式」は16ビットのAGCで発散し、「ジョセフ形式」と「ポッターの平方根フィルタ」が宇宙飛行士を救ったのか?
理論数学の上では、式5の標準形式 $\mathbf{P}_{k\mid k} = (\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)\mathbf{P}_{k\mid k-1}$ とジョセフ形式 $\mathbf{P}_{k\mid k} = (\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)\mathbf{P}_{k\mid k-1}(\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)^T + \mathbf{K}_k \mathbf{R}_k \mathbf{K}_k^T$ は最適ゲイン $\mathbf{K}_k$ の下で完全に同一である。しかし、1960年代初頭にNASAエイムズ研究センターとMIT器械工学研究所がアポロ誘導コンピュータ(AGC)の限られた語長(単精度15ビット、倍精度でも約28ビットの固定小数点演算)でシミュレーションを行ったとき、恐るべき数値的不安定性(フィルタの発散:Filter Divergence)が発覚した。
原因は式5の引き算 $\mathbf{P}_{k\mid k-1} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k \mathbf{P}_{k\mid k-1}$ にあった。極めて精度の高い観測が行われたとき、あるいは状態変数間の相関が強くなったとき、ほぼ等しい2つの正定値行列の引き算によって桁落ち(Catastrophic Cancellation)が発生する。その結果、本来は必ず対称かつ正定値(すべての固有値が正、対角成分である分散が正)でなければならない共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k}$ が、丸め誤差によって非対称になったり、負の固有値(すなわち「負の分散」!)を持ってしまうのである。一度でも共分散行列が負の固有値を持つと、カルマンゲインの符号が狂い、観測を取り込むたびに推定誤差が逆に増幅して無限大へ発散してしまう。
この危機を救ったのが2つの数値線形代数のブレイクスルーであった。
- ジョセフ安定化形式(Joseph Stabilized Form): $$\mathbf{P}_{k\mid k} = (\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)\mathbf{P}_{k\mid k-1}(\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)^T + \mathbf{K}_k \mathbf{R}_k \mathbf{K}_k^T$$ この式の右辺は、2つの二次形式 $\mathbf{A}\mathbf{P}\mathbf{A}^T + \mathbf{K}\mathbf{R}\mathbf{K}^T$ の足し算のみで構成されている!したがって、丸め誤差によってカルマンゲイン $\mathbf{K}_k$ が真の最適値からわずかにずれていたとしても、$\mathbf{P}_{k\mid k-1} \succ \mathbf{0}$ かつ $\mathbf{R}_k \succ \mathbf{0}$ である限り、計算結果の対称性と正定値性が構造的に強く保護される。
- ジェームズ・ポッターの平方根フィルタ(Potter’s Square-Root Kalman Filter, 1963): MIT器械工学研究所のジェームズ・ポッター(James E. Potter)はさらに踏み込み、「そもそも共分散行列 $\mathbf{P}$ 自体をメモリに保持するのをやめ、$\mathbf{P} = \mathbf{S}\mathbf{S}^T$ となるコレスキー因子(Cholesky Factor / 行列の平方根)$\mathbf{S}$ を直接保持してハウスホルダー変換等で更新すればよい」という天才的なアイデアを考案した。任意の実行列 $\mathbf{S}$ に対して $\mathbf{S}\mathbf{S}^T$ は絶対的に半正定値対称行列になるため、「負の分散」が生じることは原理的に100%不可能になる。さらに驚くべきことに、行列 $\mathbf{P}$ の条件数(Condition Number)$\kappa(\mathbf{P})$ に対し、平方根行列 $\mathbf{S}$ の条件数は $\kappa(\mathbf{S}) = \sqrt{\kappa(\mathbf{P})}$ に半減する。これは対数スケールで見れば「16ビットのハードウェアのまま、実質的に32ビット(2倍の数値精度・ダイナミックレンジ)で共分散を計算できる」ことを意味した。このポッターの平方根アルゴリズムこそが、アポロ誘導コンピュータ(AGC)の航法ルーチンに実際に搭載され、月への往復を可能にした隠れた主役だったのである。
4. 最適性の理論的保証:ガウス・マルコフの定理(BLUE)、カルマンの双対性、およびLQG分離定理
なぜカルマンフィルタは「これ以上良い推定器は存在しない」という意味で最適(Optimal)なのか?そして、推定された状態をどうやってロケットや自動運転車の制御(アクチュエータ操作)に結びつけるのか?ここでは制御理論と数理統計学の金字塔である3つの定理を解説する。
4.1 MMSE最適性とガウス・マルコフの定理(BLUE)
カルマンフィルタの最適性は、ノイズの分布に関する仮定に応じて2つの階層で保証されている。
- ガウス雑音下における全推定器中の絶対的最適性(MMSE / MAP / MLE): 初期状態 $\mathbf{x}_0$、プロセスノイズ $\mathbf{w}_k$、観測ノイズ $\mathbf{v}_k$ がすべて厳密に正規分布(ガウス分布)に従うとき、線形変換とベイズ更新を経た事後分布 $p(\mathbf{x}_k \mid \mathbf{Z}_{1:k})$ もまた厳密な多変量正規分布 $\mathcal{N}(\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}, \mathbf{P}_{k\mid k})$ となる。正規分布においては「平均(Mean)」「最頻値(Mode)」「中央値(Median)」がすべて一致するため、カルマンフィルタが計算する条件付き期待値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k} = \mathbb{E}[\mathbf{x}_k \mid \mathbf{Z}_{1:k}]$ は、線形・非線形を問わずあらゆる数学的関数(ニューラルネットワーク等を含むすべての写像 $g(\mathbf{Z}_{1:k})$)のなかで平均二乗誤差を最小化する最小平均二乗誤差推定量(MMSE: Minimum Mean Square Error Estimator)であり、同時に最大事後確率推定量(MAP)でもある。
- 非ガウス雑音下における最良線形不偏推定量(BLUE: Best Linear Unbiased Estimator): では、現実のセンサーノイズが完全なガウス分布ではなく、一様分布やラプラス分布などの非ガウス分布だった場合はどうなるか?実は、第3.4節のトレース微分による導出を振り返ると、私たちはノイズの「ガウス性」を一度も使っておらず、「平均がゼロであること」と「2次のモーメント(共分散行列 $\mathbf{Q}_k, \mathbf{R}_k$)が存在し無相関であること」だけしか使っていない!したがって、ノイズがどんな確率分布であっても、観測データの線形結合で作られるすべての不偏推定器のクラスのなかで、カルマンフィルタは依然として誤差分散を最小化する最良線形不偏推定量(BLUE:ガウス・マルコフの定理の動的拡張)であり続けるのである。
4.2 イノベーション系列の白色性と直交射影補題(Orthogonal Projection Lemma)
ヒロベルト空間 $L^2$ における幾何学的視点から見ると、カルマンフィルタはグラム・シュミットの直交化法(Gram-Schmidt Orthogonalization)そのものである。確率変数の内積を $\langle X, Y \rangle = \mathbb{E}[XY^T]$ と定義するヒルベルト空間において、条件付き期待値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ は、過去の全観測ベクトルが張る部分空間 $\mathcal{M}_k = \operatorname{span}\{\mathbf{z}_1, \dots, \mathbf{z}_k\}$ への真の状態 $\mathbf{x}_k$ の直交射影(Orthogonal Projection)である。
直交射影補題により、推定誤差 $\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k} = \mathbf{x}_k - \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ は部分空間 $\mathcal{M}_k$ のすべての要素と直交する($\mathbb{E}[\tilde{\mathbf{x}}_{k\mid k}\mathbf{z}_j^T] = \mathbf{0}, \forall j \le k$)。この結果として、イノベーション系列 $\{\tilde{\mathbf{y}}_1, \tilde{\mathbf{y}}_2, \dots, \tilde{\mathbf{y}}_k\}$ は互いに完全に無相関な白色雑音列(White Noise Sequence)となる。
$$\mathbb{E}[\tilde{\mathbf{y}}_k \tilde{\mathbf{y}}_j^T] = \mathbf{S}_k \delta_{kj} \qquad (k \neq j \implies \mathbb{E}[\tilde{\mathbf{y}}_k \tilde{\mathbf{y}}_j^T] = \mathbf{0})$$この性質は実務におけるフィルタの健全性診断(Filter Tuning & Fault Detection)で決定的な役割を果たす。もし実機を動かしてイノベーション系列 $\tilde{\mathbf{y}}_k$ の自己相関を計算したとき、異なる時刻間で相関が残っていたり(白色でない)、正規化イノベーション二乗(NIS: Normalized Innovation Squared)$d_k^2 = \tilde{\mathbf{y}}_k^T \mathbf{S}_k^{-1} \tilde{\mathbf{y}}_k$ が自由度 $m$ のカイ二乗分布 $\chi_m^2$ から大きく逸脱していれば、「モデル行列 $\mathbf{F}_k, \mathbf{H}_k$ またはノイズ共分散 $\mathbf{Q}_k, \mathbf{R}_k$ の設定が間違っているか、センサーが故障(外れ値混入)している」ことを即座に数学的に検知できるのである。
4.3 カルマンの双対性定理(Duality)とLQG最適制御の分離定理(Separation Principle)
カルマンは1960年の論文で、制御理論におけるもうひとつの美しい構造を明らかにした。それが制御(Control)と推定(Estimation)の双対性(Duality)である。
- 可制御性(Controllability):任意の初期状態から有限ステップの制御入力 $\mathbf{u}_k$ によって状態を任意の目的値へ到達させられるか?(可制御性行列 $\mathcal{C} = [\mathbf{B}, \mathbf{F}\mathbf{B}, \dots, \mathbf{F}^{n-1}\mathbf{B}]$ のランクが $n$ であること)
- 可観測性(Observability):有限ステップの出力観測列 $\mathbf{z}_k$ から、直接見えない初期状態 $\mathbf{x}_0$ のすべての成分を一意に特定できるか?(可観測性行列 $\mathcal{O} = [\mathbf{H}^T, (\mathbf{H}\mathbf{F})^T, \dots, (\mathbf{H}\mathbf{F}^{n-1})^T]^T$ のランクが $n$ であること)
カルマンは、行列の転置をとって時間を逆転させると($\mathbf{F} \leftrightarrow \mathbf{F}^T, \mathbf{B} \leftrightarrow \mathbf{H}^T, \mathbf{Q} \leftrightarrow \mathbf{R}$)、カルマンフィルタの誤差共分散が従う離散時間リッカチ方程式(Riccati Equation)と、最適状態フィードバック制御であるLQR(線形二次レギュレータ)の価値関数が従うリッカチ方程式が、数学的に寸分違わず同一の双対構造を持つことを発見した。システムが可観測(かつ可安定)であれば、初期の共分散 $\mathbf{P}_{0\mid 0}$ がどれほど大きくても、カルマンフィルタの共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k}$ は時間とともに一意な定常解 $\mathbf{P}_\infty$ へと指数関数的に収束する。
そして、この双対性の頂点に立つのがLQG(Linear-Quadratic-Gaussian)制御における分離定理(Separation Principle / Certainty Equivalence Principle)である。 ノイズだらけの線形システム $\mathbf{x}_{k+1} = \mathbf{F}\mathbf{x}_k + \mathbf{B}\mathbf{u}_k + \mathbf{w}_k$ において、真の状態 $\mathbf{x}_k$ が直接観測できず $\mathbf{z}_k = \mathbf{H}\mathbf{x}_k + \mathbf{v}_k$ しか得られないとき、二次評価関数
$$J = \mathbb{E}\!\left[ \mathbf{x}_N^T \mathbf{Q}_f \mathbf{x}_N + \sum_{k=0}^{N-1} (\mathbf{x}_k^T \mathbf{Q}_c \mathbf{x}_k + \mathbf{u}_k^T \mathbf{R}_c \mathbf{u}_k) \right]$$を最小化する最適制御入力 $\mathbf{u}_k^*$ はどうやって設計すればよいか? 分離定理が示す答えは驚くべきものである。「状態推定問題」と「最適制御問題」は完全に2つに分離して独立に解いてよい!
- まず、制御のことなど一切考えず、カルマンフィルタを設計して観測 $\mathbf{Z}_{1:k}$ から最適状態推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ を求める。
- 次に、ノイズや観測誤差のことなど一切考えず、真の状態 $\mathbf{x}_k$ が100%完全にわかっていると仮定した決定論的LQR(Linear-Quadratic Regulator)制御器 $\mathbf{u}_k = -\mathbf{L}_k \mathbf{x}_k$ のフィードバックゲイン $\mathbf{L}_k$ を設計する。
- 最後に、LQRの式のなかの真の状態 $\mathbf{x}_k$ の場所に、カルマンフィルタが出力した推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ をそのまま代入する($\mathbf{u}_k^* = -\mathbf{L}_k \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$)。
これだけで、不確実性を含んだ確率システム全体に対する大域的な最適制御が厳密に達成されるのである。この分離定理によって、アポロ計画から現代の航空機オートパイロット、ロボット制御に至るまで、エンジニアは「ナビゲーション(カルマンフィルタによる状態推定)」と「ガイダンス・制御(LQR等による軌道追従)」をモジュールとして独立に設計・検証できるようになった。
5. 非線形世界への拡張:EKF、UKF、粒子フィルタ、そして自動運転SLAMへ
ここまで扱ってきた標準的なカルマンフィルタ(Linear KF)は、状態遷移 $\mathbf{F}_k$ と観測 $\mathbf{H}_k$ がどちらも線形行列である場合に限られていた。しかし、現実の宇宙船、ドローン、自動運転車が動く世界は強い非線形性(Nonlinearity)に満ちている。
たとえば、自動運転車が2次元平面上を速度 $v$、ヨー角(向き)$\theta$、角速度 $\omega$ で走行するとき、状態遷移は $\dot{x} = v\cos\theta, \dot{y} = v\sin\theta$ という三角関数を含み、さらにレーダーやLiDARは車両からの相対距離 $r$ と方位角 $\phi$ を極座標で測定する。
$$\mathbf{x}_k = f(\mathbf{x}_{k-1}, \mathbf{u}_k) + \mathbf{w}_k, \qquad \mathbf{z}_k = h(\mathbf{x}_k) + \mathbf{v}_k, \qquad h(\mathbf{x}) = \begin{bmatrix} \sqrt{x^2 + y^2} \\ \operatorname{atan2}(y, x) - \theta \end{bmatrix}$$ガウス分布に従う確率変数 $\mathbf{x} \sim \mathcal{N}(\boldsymbol{\mu}, \mathbf{\Sigma})$ を非線形関数 $y = h(\mathbf{x})$ に通すと、出力の確率分布はもはやガウス分布にはならない(歪んだり多峰性を持ったりする)。この非線形性の壁を突破するために発展した代表的なアプローチを体系的に比較しよう。
5.1 拡張カルマンフィルタ(EKF: Extended Kalman Filter)— ヤコビ行列による1次テイラー線形化
スタンリー・シュミットがアポロ計画のために考案した拡張カルマンフィルタ(EKF)のアイデアは、「現在の推定値 $\hat{\mathbf{x}}$ のごく近傍において、非線形関数 $f(\mathbf{x})$ と $h(\mathbf{x})$ を1次テイラー展開(接平面近似)によって局所的に線形化する」というものである。
具体的には、状態の予測値および更新値そのものの計算には非線形関数 $f, h$ をそのまま使い、共分散行列 $\mathbf{P}$ の伝播とカルマンゲイン $\mathbf{K}_k$ の計算には、現在の推定値のまわりで偏微分したヤコビ行列(Jacobian Matrix)$\mathbf{F}_k, \mathbf{H}_k$ を用いる。
$$\mathbf{F}_k \triangleq \left. \frac{\partial f(\mathbf{x}, \mathbf{u}_k)}{\partial \mathbf{x}} \right|_{\mathbf{x} = \hat{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}} = \begin{bmatrix} \frac{\partial f_1}{\partial x_1} & \cdots & \frac{\partial f_1}{\partial x_n} \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ \frac{\partial f_n}{\partial x_1} & \cdots & \frac{\partial f_n}{\partial x_n} \end{bmatrix}, \qquad \mathbf{H}_k \triangleq \left. \frac{\partial h(\mathbf{x})}{\partial \mathbf{x}} \right|_{\mathbf{x} = \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}}$$- EKF予測ステップ: $$\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} = f(\hat{\mathbf{x}}_{k-1\mid k-1}, \mathbf{u}_k), \qquad \mathbf{P}_{k\mid k-1} = \mathbf{F}_k \mathbf{P}_{k-1\mid k-1} \mathbf{F}_k^T + \mathbf{Q}_k$$
- EKF更新ステップ: $$\tilde{\mathbf{y}}_k = \mathbf{z}_k - h(\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1}), \qquad \mathbf{S}_k = \mathbf{H}_k \mathbf{P}_{k\mid k-1} \mathbf{H}_k^T + \mathbf{R}_k$$ $$\mathbf{K}_k = \mathbf{P}_{k\mid k-1}\mathbf{H}_k^T \mathbf{S}_k^{-1}, \qquad \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k} = \hat{\mathbf{x}}_{k\mid k-1} + \mathbf{K}_k \tilde{\mathbf{y}}_k, \qquad \mathbf{P}_{k\mid k} = (\mathbf{I} - \mathbf{K}_k \mathbf{H}_k)\mathbf{P}_{k\mid k-1}$$
EKFは計算が高速で実装も容易であるため、半世紀以上にわたり航空宇宙・自動車・ロボティクスの業界標準(デファクトスタンダード)として君臨してきた。しかし、EKFには2つの本質的な弱点がある。
- 線形化誤差によるバイアスと発散:イェンセンの不等式(Jensen’s Inequality)により、非線形関数では一般に $\mathbb{E}[h(\mathbf{x})] \neq h(\mathbb{E}[\mathbf{x}])$ である。たとえば極座標変換で方位角 $\theta$ の不確実性が大きいとき、ガウス分布はバナナ型(三日月型)に湾曲するが、EKFは中心点1点での接線しか見ないため、2次以上の高次項(ヘッセ行列 $\nabla^2 h$ 成分)を完全に切り捨ててしまい、推定平均にバイアスが生じ、共分散を過小評価してフィルタが発散することがある。
- ヤコビ行列の導出・実装コスト:複雑な物理モデルや非微分可能な要素を含むシステムでは、解析的なヤコビ行列 $\frac{\partial f}{\partial \mathbf{x}}$ を手で微分してコード化する作業がバグの温床となる。
5.2 アンセンテッドカルマンフィルタ(UKF: Unscented Kalman Filter)— シグマポイントとアンセンテッド変換
1997年、サイモン・ジュリア(Simon J. Julier)とジェフリー・ウルマン(Jeffrey K. Uhlmann)は、EKFの弱点を根底から解決する格言を提唱した。
「非線形関数を近似するよりも、確率分布(ガウス分布)を少数の決定論的サンプル点で近似する方が遥かに容易である。」 (It is easier to approximate a probability distribution than it is to approximate an arbitrary nonlinear function.)
これがアンセンテッド変換(Unscented Transform: UT)に基づくアンセンテッドカルマンフィルタ(UKF)である。 状態空間の次元が $n$ であるとき、現在の平均 $\hat{\mathbf{x}}$ と共分散行列 $\mathbf{P}$ を完全に表現する $2n+1$ 個の決定論的サンプル点(シグマポイント:Sigma Points)$\{\boldsymbol{\mathcal{X}}_i\}_{i=0}^{2n}$ を、行列の平方根(コレスキー分解 $\sqrt{(n+\lambda)\mathbf{P}}$ の各列ベクトル)を用いて次のように配置する。
$$\boldsymbol{\mathcal{X}}_0 = \hat{\mathbf{x}}, \qquad \boldsymbol{\mathcal{X}}_i = \hat{\mathbf{x}} + \left(\sqrt{(n+\lambda)\mathbf{P}}\right)_i \quad (i=1,\dots,n), \qquad \boldsymbol{\mathcal{X}}_{i+n} = \hat{\mathbf{x}} - \left(\sqrt{(n+\lambda)\mathbf{P}}\right)_i \quad (i=1,\dots,n)$$そして、ヤコビ行列を一切計算することなく、この $2n+1$ 個のシグマポイントのそれぞれをそのまま非線形関数 $\boldsymbol{\mathcal{Y}}_i = f(\boldsymbol{\mathcal{X}}_i)$ に通して変換し、変換後の点群の重み付き平均と重み付き共分散を計算する。
$$\hat{\mathbf{y}} = \sum_{i=0}^{2n} W_i^{(m)} \boldsymbol{\mathcal{Y}}_i, \qquad \mathbf{P}_y = \sum_{i=0}^{2n} W_i^{(c)} (\boldsymbol{\mathcal{Y}}_i - \hat{\mathbf{y}})(\boldsymbol{\mathcal{Y}}_i - \hat{\mathbf{y}})^T + \mathbf{Q}$$驚くべきことに、このわずか $2n+1$ 個の点を通すだけの計算(計算オーダーはEKFと同じ $O(n^3)$)によって、ガウス分布の非線形変換後の平均と共分散をテイラー展開の3次項(3rd-order Taylor expansion)まで厳密に一致する精度で捉えることができる(EKFは1次項までしか捉えられない)。ヤコビ行列不要(Derivative-free)で、かつ強い非線形性に対しても圧倒的に頑健であるため、現代の高度な姿勢推定やバッテリ状態推定(SOC推定)ではUKFが広く採用されている。
5.3 粒子フィルタ(Particle Filter / SMC)と自動運転のSLAM・エラー状態カルマンフィルタ(ESKF)
もし事後分布がそもそも単峰のガウス分布ですらなく、複数の山を持つマルチモーダル分布(Multimodal Distribution)になる場合はどうすればよいか?たとえば、自動運転車が似たような交差点が多い地図のなかで「交差点Aにいる確率が50%、交差点Bにいる確率が50%」という状態からスタートする大域的自己位置推定(Global Localization / 誘拐ロボット問題)である。
この場合は、数千〜数万個のランダムな仮説点(パーティクル)$\{\mathbf{x}_k^{(i)}, w_k^{(i)}\}_{i=1}^{N_p}$ で任意の確率密度関数をノンパラメトリックに近似し、尤度に応じた重み付けとリサンプリングを繰り返す粒子フィルタ(Particle Filter / 逐次モンテカルロ法:Sequential Monte Carlo, SMC)が用いられる。
さらに、現代の自動運転車やドローン、AR/VRヘッドセット(Apple Vision ProやMeta Questなど)の視覚慣性オドメトリ(VIO: Visual-Inertial Odometry)およびSLAM(Simultaneous Localization and Mapping:自己位置推定と環境地図構築の同時実行)では、カルマンフィルタはさらなる進化を遂げている。
- EKF-SLAMにおける相関構造の役割: ロボットが未知の環境を移動しながら特徴点(ランドマーク $\mathbf{m}_1, \mathbf{m}_2, \dots, \mathbf{m}_M$)を観測するとき、拡大状態ベクトル $\mathbf{x}_{\text{SLAM}} = [\mathbf{x}_r^T, \mathbf{m}_1^T, \dots, \mathbf{m}_M^T]^T$ の共分散行列 $\mathbf{P}$ には、ロボットと各ランドマークの間の非対角ブロック(相互共分散)が蓄積されていく。ロボットが一周して出発点の既知のランドマークを再観測した瞬間(ループクロージャ:Loop Closure)、カルマンゲインはこの非対角の相関行列を介して、道中で登録した何百ものランドマークの地図座標とロボット自身の位置を一瞬にして連鎖的に補正する!
- リー群多様体上のエラー状態カルマンフィルタ(ESKF / Invariant EKF): 3次元空間の回転姿勢(ロール・ピッチ・ヨーやクォータニオン)はユークリッド空間 $\mathbb{R}^3$ ではなく、曲線的なリー群多様体 $SO(3)$ 上に存在する。そのため、現代の自動運転やドローン制御では、主状態(Nominal State)を非線形運動方程式で高速積分し、そのまわりの微小な3次元接空間(リー代数 $\mathfrak{so}(3)$)上の誤差状態(Error State)$\delta\mathbf{x}$ に対してカルマンフィルタを回すエラー状態カルマンフィルタ(Error-State Kalman Filter: ESKF)が標準アーキテクチャとして使われている。
flowchart TD
Start["状態推定問題の特性分析"] --> Q1{"システムモデル f(x) と<br/>観測モデル h(x) は線形か?"}
Q1 -- "はい (線形)" --> Q2{"ノイズはガウス分布<br/>(または単峰性) か?"}
Q2 -- "はい" --> LKF["標準カルマンフィルタ (Linear KF)<br/>【理論的に厳密なMMSE/BLUE最適解】"]
Q2 -- "いいえ (多峰性・強い外れ値)" --> PF["粒子フィルタ (Particle Filter / SMC)<br/>【任意の確率分布を点群で近似】"]
Q1 -- "いいえ (非線形)" --> Q3{"事後分布は単峰ガウス分布で<br/>近似可能か?"}
Q3 -- "いいえ (マルチモーダル・大域位置推定)" --> PF
Q3 -- "はい" --> Q4{"非線形性の強さと<br/>ヤコビ行列の微分可能性は?"}
Q4 -- "中程度の非線形性・ヤコビ行列が容易" --> EKF["拡張カルマンフィルタ (EKF / ESKF)<br/>【1次テイラー展開・高速・航空宇宙標準】"]
Q4 -- "強い非線形性・ヤコビ行列が困難" --> UKF["アンセンテッドカルマンフィルタ (UKF)<br/>【2n+1シグマポイント・3次精度】"]
| 手法 | 線形性の仮定 | 確率分布の表現 | 状態次元 $n$ に対する計算量 | 精度と理論的性質 | 代表的な応用分野 |
|---|---|---|---|---|---|
| 標準カルマンフィルタ (Linear KF) | 線形($\mathbf{F}_k, \mathbf{H}_k$ が行列) | ガウス分布 $\mathcal{N}(\hat{\mathbf{x}}, \mathbf{P})$ | $O(n^3)$(極めて高速) | 厳密に最適(ガウス下でMMSE、非ガウス下でBLUE) | レーダー追跡、LQG制御、金融時系列・経済指標推定 |
| 拡張カルマンフィルタ (EKF / ESKF) | 非線形(ヤコビ行列による1次テイラー線形化) | ガウス分布(局所線形近似) | $O(n^3)$(高速) | 1次精度(強い非線形性でバイアスや発散のリスク) | アポロ誘導航法、GPS/IMU複合航法、ドローン姿勢推定(VIO) |
| アンセンテッドカルマンフィルタ (UKF) | 非線形(ヤコビ行列不要・ブラックボックス可) | ガウス分布($2n+1$ 個のシグマポイント) | $O(n^3)$(EKFの数倍程度) | 3次テイラー精度(強い非線形性でも高安定) | 衛星軌道・姿勢決定、リチウムイオン電池SOC推定、自動運転追跡 |
| 粒子フィルタ (Particle Filter / SMC) | 任意の非線形・不連続系 | ノンパラメトリック($N_p$ 個の重み付き粒子群) | $O(N_p \cdot n)$(高次元では次元の呪い) | $N_p \to \infty$ で真のベイズ事後分布に収束(多峰性対応) | LiDAR自己位置推定(MCL)、視覚追跡、地形照合航法(TERCOM) |
| ファクターグラフ最適化 (Factor Graph / iSAM2) | 非線形(過去軌跡全体のガウス・ニュートン最適化) | 疎な情報行列(精度行列) | スパース行列分解により準線形 | 過去の線形化誤差を再評価可能(大規模地図で最高精度) | 大規模自動運転SLAM、Google Cartographer、3次元復元 |
6. Pythonによる完全な実装と数値シミュレーション:2次元車両追跡と「観測できない速度ベクトル」の同時推定
カルマンフィルタの威力を具体的に確認するため、2次元平面 $(x, y)$ 上を走行する自動運転車(または宇宙船)を追跡する完全なPythonシミュレーションを実装しよう。
ここで注目すべき極めて重要なポイントがある。状態ベクトル $\mathbf{x}_k$ は2次元位置 $(p_x, p_y)$ と2次元速度 $(v_x, v_y)$ の4次元である。
$$\mathbf{x}_k = \begin{bmatrix} p_x \\ p_y \\ v_x \\ v_y \end{bmatrix}, \qquad \mathbf{F} = \begin{bmatrix} 1 & 0 & \Delta t & 0 \\ 0 & 1 & 0 & \Delta t \\ 0 & 0 & 1 & 0 \\ 0 & 0 & 0 & 1 \end{bmatrix}, \qquad \mathbf{H} = \begin{bmatrix} 1 & 0 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 0 & 0 \end{bmatrix}$$観測行列 $\mathbf{H} \in \mathbb{R}^{2 \times 4}$ を見るとわかるように、センサー(GPS)は位置 $(p_x, p_y)$ しか測定できず、速度 $(v_x, v_y)$ を直接測るスピードメーターは一切搭載されていない! それにもかかわらず、カルマンフィルタは予測ステップ $\mathbf{P}_{k\mid k-1} = \mathbf{F}\mathbf{P}_{k-1\mid k-1}\mathbf{F}^T + \mathbf{Q}$ を通じて「位置の不確実性と速度の不確実性の間の非対角共分散(相関)」を自動的に生成し、位置のイノベーション $\tilde{\mathbf{y}}_k$ から直接観測できない隠れ状態である速度ベクトル $(v_x, v_y)$ までをも高精度に推定・復元してしまうのである(可観測性行列 $\mathcal{O} = [\mathbf{H}^T, (\mathbf{H}\mathbf{F})^T]^T$ のランクが $4$ であるため完全に可観測となる)。
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シミュレーション結果の定量的解析
上記のコードを実行すると、以下のような定量的な結果が得られる。
- 生GPS観測の位置RMSE:約 $4.12\,\text{m}$($x, y$ 各軸で標準偏差 $3.0\,\text{m}$ のノイズがあるため、2次元ユークリッド距離の理論期待値は $\sqrt{3.0^2 + 3.0^2} \approx 4.24\,\text{m}$)
- カルマンフィルタ統合後の位置RMSE(後半定常域):約 $1.18\,\text{m}$(単独のGPS観測誤差から 70%以上の誤差削減を達成!)
- 直接観測していない速度ベクトルの推定RMSE(収束後):初期状態では真の速度 $(10, 5)\,\text{m/s}$ に対して推定値を $(0, 0)\,\text{m/s}$ と完全に誤って初期化していたにもかかわらず、わずか1〜2秒(10〜20ステップ)の位置観測の変化から非対角カルマンゲインが働き、速度ベクトルを誤差約 $0.85\,\text{m/s}$ 以内で正確に追跡し続ける。
- 共分散トレース $\operatorname{Tr}(\mathbf{P}_{k\mid k})$ の収束:初期値 $250.0$ から始まり、数ステップで急激に減少して定常リッカチ解である約 $3.15$ 付近へと滑らかに収束する。
7. 結論:「不確実性を無視する」のではなく「不確実性の形を計算し尽くす」という数理哲学
なぜ宇宙船や自動運転車は、誤差だらけのセンサーと不確かな予測から「本当の現在地」を割り出せるのか? 本稿で導出した数学的構造を振り返れば、その答えは明快である。
カルマンフィルタの真の主役は、実は状態推定値 $\hat{\mathbf{x}}_{k\mid k}$ そのものではなく、その背後で絶えず計算・伝播され続けている誤差共分散行列 $\mathbf{P}_{k\mid k}$ である。従来の素朴なフィルタ(移動平均や固定ゲインのローパスフィルタ)は、「いま自分がどれくらい確信を持っているか(あるいはどれくらい自信がないか)」という自己認識を持たない。
これに対してカルマンフィルタは、
- 予測ステップにおいて「物理モデルに従って時間を進めた結果、どの方向にどれくらい自分の自信が失われたか($\mathbf{P}_{k\mid k-1} = \mathbf{F}_k \mathbf{P}_{k-1\mid k-1}\mathbf{F}_k^T + \mathbf{Q}_k$)」を正直に計算し、
- 更新ステップにおいて「自分の不確実性の楕円体 $\mathbf{P}_{k\mid k-1}$ と、センサーの不確実性の楕円体 $\mathbf{R}_k$ の大きさと向きを天秤にかけ、精度(情報量 $\mathbf{P}^{-1}$)が加算されるように最適ゲイン $\mathbf{K}_k$ を決定する」。
すなわち、「不確実性(誤差)が存在しないふりをする」のではなく、「自分自身の不確実性とセンサーの不確実性の幾何学的形状(共分散行列)を1ステップごとに厳密に定量化し尽くすこと」によって初めて、複数の不完全な情報源から最大のフィッシャー情報量を絞り出し、単独のどのセンサーよりも遥かに小さな分散へと到達できるのである。
1960年にルドルフ・カルマンが1本の論文に記し、1969年にアポロ11号のわずか $2\,\text{KB}$ のメモリ上で月面着陸を成し遂げたこの数理哲学は、60年以上の時を超えた今日、自動運転車のSLAM、スマートフォンのGPS、気象予報のデータ同化(アンサンブル・カルマンフィルタ:EnKF)、さらには重力波望遠鏡LIGOの制御に至るまで、現代文明のあらゆる場所で静かに「真の現在地」を計算し続けているのである。
参考文献(References)
- Kálmán, R. E. (1960). “A New Approach to Linear Filtering and Prediction Problems.” Transactions of the ASME — Journal of Basic Engineering, 82(Series D), 35–45.
- Kálmán, R. E., & Bucy, R. S. (1961). “New Results in Linear Filtering and Prediction Theory.” Transactions of the ASME — Journal of Basic Engineering, 83(1), 95–108.
- Schmidt, S. F. (1981). “The Kalman Filter: Its Recognition and Development for Aerospace Applications.” Journal of Guidance, Control, and Dynamics, 4(1), 4–7.
- Battin, R. H. (1987). An Introduction to the Mathematics and Methods of Astrodynamics. AIAA Education Series.
- Julier, S. J., & Uhlmann, J. K. (1997). “New Extension of the Kalman Filter to Nonlinear Systems.” Proceedings of SPIE: Signal Processing, Sensor Fusion, and Target Recognition VI, Vol. 3068, 182–193.
- Simon, D. (2006). Optimal State Estimation: Kalman, $H_\infty$, and Nonlinear Approaches. John Wiley & Sons.
- Thrun, S., Burgard, W., & Fox, D. (2005). Probabilistic Robotics. MIT Press.
- Barfoot, T. D. (2017). State Estimation for Robotics. Cambridge University Press.
